「……手を、繋いでくれますか?」

不意の言葉に、僕は思わず彼女の方を見た。波瑠は伏せ目がちに、けれど確かな期待を込めて僕を待っている。

「お嬢様、足元に気をつけて」

僕はあえて事務的な言葉を選び、彼女にそっと手を差し伸べた。胸の鼓動を、夜の静寂の中に隠すようにした。

彼女はクククと喉を鳴らして笑い、僕の手をぎゅっと握ってきた。握った彼女の手は、驚くほど温かく、柔らかい。

「あの時も、こうして手を繋いで送ってくれましたね」

階段を降りる途中で、彼女がぽつりと呟いた。

「波瑠……」

打ち明けるつもりはなかった。けれど、彼女もまた、あの夏の記憶を自分の中で大切に育てていたのだ。

「会うべき時に、会うべき人に会えました。」

僕は短く頷いた。溢れそうになる想いをどんな言葉に乗せればいいのか、今の僕にはわからない。

「また会ってくれますよね?」

不安げに見上げてくる彼女に、「約束する」とだけ返した。脈打つ鼓動が、繋いだ手を通じて伝わっていないかだけが気がかりだった。

「今度は、この手を離さないでくださいね」

階段を降りきったところで、彼女は僕を真っ直ぐに見つめて言った。

僕はその視線に、今までにない感情を抱いた。

そこらへんに散りばめられた普遍的な言葉で片付けられるものではない。僕という存在が、彼女の純粋な決意に触れていいのかという、震えるような畏れだった。

「……今日はもう遅いし、帰ろうか」

自分の内側に僅かながらに芽生えた彼女に対する傲慢な独善を打ち消すように、僕はヘルメットを差し出した。

「その必要はないよ」

遮るような冷たい声。タイヤが砂利を噛む低い音。

眩いハイビームが僕たちの視界を奪い、数台の黒塗りの高級車が、まるでお城の城壁のように僕たちを包囲した。