【前回記事を読む】『源氏物語』を執筆していると、紫式部は既に藤原道長の構想に組み込まれていた…父の説得で宮中へ行くと……
一 『ゲーテとの対話』(上)を読みながら考える
自立した個人
ゲーテ「他人(ひと)を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ。私は、そんなことをした覚えはない。私は、人間というものを、自立的な個人としてのみ、いつも見てきた。そういう個人を探究し、その独自性を知ろうと努力してきたが、それ以外の同情を彼らから得ようなどとは、まるっきり望んでもみなかった。
だから、現在ではどんな人間とも付き合うことができるようになったわけだが、またそれによってのみ、はじめて多種多様な性格を知ることもできたし、人生に必要な能力を身につけることもできたのだ。
性に合わない人たちとつきあってこそ、うまくやっていくために自制しなければならないし、それを通して、われわれの心の中にあるいろいろ違った側面が刺戟されて、発展し完成するのであって、やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。」(上一七〇頁)
以上のようなゲーテの言葉から浮かび上がってくるのは、紫式部の生き方である。
紫式部は、自分の意見や思いをあらわにしない人である。
例えば、亡夫宣孝(のぶたか)が残した漢籍を取り出してみていると、女房たちが、「あのようなことをなさるから、幸せが少ないのです。どうして女の身で漢籍をお読みになるのでしょう。昔は、お経を読むことさえ、止められたのに。」と陰口を言う。
内心では、まじめに物忌(ものい)みをした人が長生きをしたことなど聞いたことがないと言いたくなるけれども、思いやりがないようだし、女房たちの言うことにも一理あるので、何も言わない。
中宮彰子に出仕してからのこと、左衛門(さいも)の内侍(ないし)という人が紫式部のことを「日本紀(にほんぎ)の御局(みつぼね)」というあだ名をつけて陰口をたたいているということを耳にしてからは、屛風(びようぶ)に書かれた文字さえ読まないふりをしていたという。
また、何かにつけてケチをつけるタイプの人とやむを得ず対座するような場合、紫式部は何も言わないでいるから、相手は彼女の本心に気づかないで、気後れしているのだと思ってしまう。実際は、気後れしているのではなく、ケチをつけられては面倒だから、紫式部は、愚か者であるかのような顔をしているだけである。
紫式部がこうありたいと思う女性像としては、様子が見苦しくなく、人柄が穏やかで、落ち着いた雰囲気であることを基本としていることで、そうすれば品位も情趣も見えて、安泰である。
以上は、紫式部自身が『紫式部日記』に書いているところによる。紫式部は、このような心構えで、教育係として中宮彰子に、長年にわたって仕えた。自立した個人としての自覚が、紫式部の生活態度の基本であったと考える。