青春の過(あやま)ち
ゲーテ「人は、青春の過ちを老年に持ちこんではならない。老年には老年自身の欠点があるのだから。」(上一八三頁)
『源氏物語』で、若いころに好き勝手なことをして女性たちを振り回した光源氏。彼はその後始末をしたのか、しなかったのか。そして、どのような人生の晩年を迎えたのか。
葵の上は、左大臣の姫君で、光源氏の正妻である。
葵の上は、心の底から叫んだ。
「問はぬはつらきものにやあらん」(源氏物語①二二六頁)。
このとき、光源氏十八歳、葵の上二二歳。葵の上の立場からすれば、光源氏は自分の夫であるはずなのに、ごくまれにしか左大臣邸に姿を見せない。左大臣を先頭にして、みんなで光源氏をこんなに丁重に扱っているのに、それを何とも思っていないらしい。
左大臣邸に来るとき以外は、どこでなにをしているのやらわかったものではない。たとえ尋ねても、聞き苦しい「うそ」しか言わないだろう。だから自分は尋ねないのだが、それはそれで苦しいことだ。
これに対して、光源氏は、
「たまに口をきいてくださったと思うと、驚いたことを言われるのですね。『問はぬ』などと言うのは、私たちの立場にふさわしくありません。情けない言い方をされるものです。
常々情けない仕打ちをなさいますが、いずれ思い直してくださることもあるだろうと、私なりにあれこれ試していますが、ますます疎ましくお思いなのですね。まあ、命さえあればそのうちに。」と言う。
要するに、光源氏は、葵の上がどのような思いでこの言葉を発したのか、全く理解することができなかったのである。
それから四年後、葵の上は、光源氏の子(後の夕霧)を遺(のこ)して、二六歳で急逝(きゆうせい)した。
光源氏は、葵の上の心からの叫びの意味を明確に理解することができなかったが、夫として冷たいではないかという非難の心が込められていると感じとったのだろう。光源氏は、葵の上の喪が明けるまで、左大臣邸に籠っていた。
その結果、左大臣やその子息である頭中将との円満な関係を維持し、夕霧の養育を左大臣の北の方である大宮(おおみや)に委ねることができた。
このように、光源氏は、葵の上との関係における若き日の過ちを晩年に持ちこむことを、かろうじて免れた。
試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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