【直接原因】

「官僚という対象が、これだけ注目を集め、存在感を持ち続ける国は珍しい」という指摘がある(清水唯一朗「近代から見る官の未来とは」)。

それは日本が明治以来現在まで、官僚支配と言って良いような官僚国家として歩んできたからである。

権力を掌握した藩閥勢力がまず最初に着手したのは、官僚組織の構築であった。大蔵省の設置は1869(明治2)年、文部省(現文科省)は1871年、陸軍省、海軍省は1872年、内務省は1873年というように内閣の創設(1885年)よりかなり早く、設置時期もバラバラであった。

本店の前に支店を個別に作るようなものである。こういった動きを見ると、明確な国家構想がなかったことが分かる。

日本の各省庁は外国と比較して、閉鎖的で変化に乏しいと言われるが、創設当初の省庁別人事採用を現在もそのまま使っているからである。

財務省に採用されれば、生涯財務省勤務である。当然、セクト意識は高まる。その後、主導権争いを繰り広げ、省益優先で国政を動かす傾向が定着し、実はそれが現在まで続いている。

そして人事の採用と任用が省庁別という悪しき慣行もそのままである。言ってみれば、日本の官僚組織は頭が複数ある「キングギドラ」のようなものである。

実際に、軍部と政治を統合するシステムを作らなかったこともあり、戦前は陸軍省、海軍省、内務省、外務省などがそれぞれ対立し、最後は陸軍が大陸で、海軍が太平洋で互いに背中を向けて戦うという有り様だった。

敗戦を機に日本国憲法が制定され、議会の国政への関与が一定程度可能になったものの、官僚主導の統治構造そのものには改革のメスが入らなかった。

維新の時の政権が敗戦をはさんで延命している。600〜700人の中枢キャリア官僚が集団で「黒子」として日本社会を動かしてきたが、その構造は明治以来何も変わっていない。

真のリーダー不在の“ヘッドレス国家”のため、もたれ合いの無責任体制になっている。戦争終結も手間取った。拉致問題、領土問題が解決しないのはこのためである。

 

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