記憶三
一九九五年、地下鉄サリン事件があった時、主人が定年少し前だった頃、庭に一匹の雌猫が訪れた。その猫に、主人が餌やりをし始めた。その時、その猫が身ごもっていたのを主人は知らなかったらしい。雌猫は子供を二匹産んで、仔猫たちを置いて姿を見せなくなった。結果、主人はその仔猫たちの世話を引き継ぐようになり、庭で彼らの世話をし始めた。
元々会話のない主人からの猫の事情は全くなく、本来わたしはぼんやりしている方なので、猫と主人の本当の現状をわたしが知ったのはもしかして、餌やりを始めてからだいぶ経っていたのかもしれない。何とはなく「外飼いをしている」と知ってからも、わたしはあくまでも傍観していた。
主人が猫と関わり始めたその時期、息子はちょうど就職して、家から出てアパートで生活するようになっていた。その後、息子は職場の関係で再び家から通勤するようになったのだが、その時、主人と猫たちとの関係はまだ続いていた。
それは今考えると、八年という歳月に及んだ。
主人が野良猫の餌やりを始めたちょうどその頃、時を同じくして、野良猫への餌やりが近隣トラブル問題として、テレビ等で毎日のように報道されるようになっていた。わたしは報道前からではあったが、家の庭の猫たちについて悩む日々だった。主人も悩んではいたようだ。何しろその頃ネズミ算式に、我が家の庭では猫たちが「産まれてはどこかに行く」という状況であったのだ。
今まで職場から電話などめったにかけて来なかったような主人なのに、勤め先から不安そうな、どうしようというコールをしてきたりした。しかし、増えていく猫たちをどうするか具体案もないまま、時間は過ぎていった。
保健所にという方法はすぐ思いついたが、保健所のそしてその先の猫たちを待ち受けている「殺処分」という問題に我々はずるく目をつぶり、だから現状のまま、時の流れに任せて逃げていた。
主人が餌やりをし始めた最初は二匹だけではなかったのだろうとは思うが、わたしが知った時は雄と雌の二匹だった。両方共、黒系の日本猫と言われる系で、白っぽい方が雄で、雌は黒っぽかった。それでわたしたちは自然に、雄を「しろ」、雌を「くろ」と呼んでいた。雄のしろはいつの間にか我が家の庭からいなくなっていた。後に息子が話すには、しろは時々、ひょっこり息子の部屋に現れたという。
残った雌のくろは、我が家の庭で数え切れない程お産をした。
彼女の産んだ仔猫は生命力の差か、早々に死んでしまった猫がほとんどだった。生きながらえても、それぞれ気づけば我が家の庭にはいなかった。結局、「くろ」だけがずっといた。
次回更新は9月9日(水)、19時の予定です。
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