【前回の記事を読む】父から逃げてきた私に母は「もうお前の面倒は見られない」と、2万円だけくれた。私は高校に通いながら1人で生活することに…
第二章 自立
元スタジオミュージシャンの旦那さんが、寿司好きが高じて奥様と一緒に開いたお店だ。まかないがお寿司ってところが最高だった。
「寿司はお茶で食べるもんじゃない、日本酒を飲みながら食べるもんだぞ」
大将はいつもそう言いながら時間があると魚の事やいろいろなことを教えてくれて、私をとてもかわいがってくれた。
女将さんにも教わった通りに、アガリもお客さんの好みをよく承知して出すのが喜ばれた。ぬるめが好き、熱めが好き、濃い目が好きかどうか気をつけてお出しすると、とても褒めていただけて時々チップもいただけた。
それからエビを真っ直ぐに茹でるために背中に串を刺したり、ナマコの捌き方やら手巻き寿司の巻き方、お出汁の取り方などをどうやるのか大将に質問すると、大将は嬉しそうにまずは自分でやってみせて、それから実際に私にもやらせてくれた。
粋寿司の常連さんは大将の昔馴染みで音楽関係の人が多い。私も中学生の頃は小遣いを貯めてフォークギターを買った。コードの載った楽譜教本をめくっては、「長渕剛」に「中島みゆき」「松任谷由実」、少し年上が聞いていた「かぐや姫」「風」「さだまさし」のほか、ちょっとギターで弾くのには難しかったけれど「オフコース」を必死に練習するほど音楽に夢中だった。
だから音楽関係者が来ると、憧れの眼差しで一生懸命にご接待し、業界のお仕事話をこっそり聞くのが密かな楽しみだった。
満開の桜の季節になると、粋寿司はお店の引き戸を大きく開けて目黒川沿いの桜並木を楽しみながらお寿司が食べられる最高の店になる。散る桜の花びらがひらひらとお店の中へ舞い込んでくる様子が美しかった。
やがて葉桜になり、ゴールデンウイークが終わると私は十八歳の誕生日を迎えた。 粋寿司では休みの水曜を除いて六日間、午後五時から深夜零時まで働いた。本来なら未成年者の夜間就労には制限があったのだけれど、大将が私の窮状を察して希望通りに働かせてくれた。授業料と家賃はこれで何とかなる。
粋寿司の仕事を終えて急いで帰宅すると、少し眠ってから朝四時から七時までの二つ目のアルバイト、ビル掃除(ここも人手不足のためか法令遵守がゆるく、高校生でも時給がなんと六百円!)に行った。
それを終えてから遅刻ギリギリで走って高校へ行き、授業を二時限目あたりまで出席してから学校をあとにすると、昼前から夕方まで可能な限り喫茶店でウエートレスをする──そんな生活が始まった。
掛け持ちバイト先の三つ目は、そんな時間帯に働かせてくれた渋谷センター街の「泉浴(よくせん)」という特殊浴場の隣、半地下の「カフェテラス花」という喫茶店だった。