私が空を飛ぶ理由

出張から帰った週末。天気がよく風もあまりなかったので、また都心に向かって飛んでみた。改めてこの体験が、飛行機あるいは映像で見るドローンなどとは全く異なるものだと実感した。

風を全身に感じるし、風が強いと流されて思うように飛べない。今のところ東京タワーの三三三メートル前後が最高地点だが、もっと上まで行けば空気も薄くなり運動能力も落ちるだろう。飛行機のような高さやスピードでは飛べない。

また高く飛べば飛ぶほど、いつ落ちるかもしれないとの恐怖もよぎる。10メートル、いや五メートルでも、落ちて打ちどころが悪ければ死んでしまうだろう。背中合わせの恐怖の中で、人頼みではなく自分の意志で飛んでいる実感こそが特別だった。

飛ぶことにも慣れてきたころ、「夢の中とはいえ、自分の飛ぶ力は何のために与えられたものなのだろう」と考え始めた。

優れた能力を持っている人は世の中にもたくさんいる。速く走れる、高く飛べる、速く泳げる。運動だけでなく、歌がうまい、作曲が得意、素晴らしい絵が描ける、記憶力がいい、数字や分析に強い、問題を整理して提案ができるなど。優れた能力の種類はさまざまだ。

天賦の才能なら「これは神様が特別に与えてくれたものなのかも」と考えるだろう。足が速いと知れば、陸上に限らずサッカー、ラグビー、野球などスポーツ全般に可能性は広がる。警察官や刑事になるにも有利にちがいない。いずれかの道で一番になる、大成することを目的にできる。

それら能力を持ち合わせていても、あえて使いたくないという人もいるだろうか。親譲りの音楽センスはあるけれど、プロとして働く親の忙しさを知っているからこそなりたくないとか。周囲からすればうらやましくてしょうがないが、使う使わないは本人の自由だ。中にはそもそも自身の才能に気付いてない人だっているだろう。宝の持ち腐れだ。

そのときの私は、自分が手に入れた能力を強く意識し始めていたし、『幸福の王子』の話が気になっていた。王子だって自分が飛べるのであれば、つばめに命がけの仕事を頼みたくなかっただろう。そう思うと、飛べる私には飛べない誰かのために飛ぶ必要があるのではと考えた。運命のようなものだ。

次の瞬間“特別な”能力を与えられた理由が、私の中の「てる」とつながった。彼女を救えないだろうか。一瞬よぎっただけなのに、夢想は頭の中でぐるぐると回り始めた。