今回この旅が、画家フェラーラとその絵をたどる、奇妙な旅に変わる予感が宗像に強まったのはこのときだった。ポルトガルの旅には当初十二日間を予定していた。しかし、こういうことになった以上、ポルトガルではファドだけ聴いて、二、三日で切り上げても良いとさえ考え始めていた。
リスボンとフェラーラが亡くなったポルトを回るとしても、その後はまたロンドンに戻るべきだろう。帰りのチケットはオープンだし、東京には六月二十四日までに帰れば良いとすれば、これから最大九日間は動き回れるはずだった。
夜七時きっかりにチャイナ・タウンの金龍を訪れた。店の奥のコーナーに通されると、いかにも常連であるというように振る舞いながら、給仕と雑談している心地の姿が眼に入った。宗像はテーブルの前で立ち止まり、深々と頭を下げて言った。
「やあ早いね。いろいろお世話いただいて本当に感謝しているよ」
「そう畏まらずに、まあ座れ。どうだ少しは役に立ったか?」
心地はグラスを左手に持ち替えて笑いながら尋ねた。
「いや、本当にありがとう。とりあえずは充分だ。まずモーニントンさんだが……完璧だった」
心地はニヤニヤしながら聞いていた。
「そうだろう! 彼女、まだ若いけどなかなかのやり手なのさ」
「まあそれもそうだが、心地、お前の頼みだからこそ、今日は特別な扱いだったようだぞ? おかげで、わずか二時間ほどだったがいろいろなことが分かった。ロンドンでのお前の位置がかなりのものだということも含めてな」
「それほどじゃあないさ」
そう言いながら、まんざらでもないという顔が前でにやついていた。さっそく報告を始めようとすると、それを制して心地が言った。
「まず注文を先にしようぜ。話はそれからだ。ここは北京家鴨がうまいからな、まずこれは食べようぜ。宗像、お前、確か嫌いなものはなかったよな? 俺が決めるぞ!」
「学生時代と全く変わらないな。頼むよ心地」
常に積極的な心地と多少内向的な宗像との関係は、卒業後二十年以上経っているが全く変わっていない。このようにどちらかといえば相反する性格を持っているからこそ、なおさらうまくいっている面があるようだ。
グラスを合わせ、白のソアベを口に含み、頬を膨らませて一口飲み込むと、冷えたワインは酸味のある乾いた香りを周りに残しながら、身体の奥へ吸い込まれて行った。
食事中、先ほど整理したフェラーラに関するメモを見ながら、宗像が説明を終えると、それまで口を挟まずにじっと聞いていた心地が声を発した。
「俺も調べてみたよ、フェラーラをな。一見ミステリアスで、なかなか面白い絵を描いてはいるのだが、結局はメジャーになりきれなかった画家だぜ。たかだか数年間の活躍で、残されたのはたった二十八点の油絵。いかにも少ないし……あまりにも短過ぎた画歴だよ」