【前回の記事を読む】落ち葉の季節になるたび、母と手を繋いだぬくもりを思い出す……しかし13年前、その母は自分を捨て、間男と姿を消した……
敵(かたき)
前編
4
上覧試合では、又兵衛は決勝には届かずに敗れた。が、それまでに気になる男が何名かいて試合後声をかけてみた。その中で特に自分と剣筋がよく似た男がいて互いに技を称賛しあった後で、
「指導者はどなたか」と又兵衛は聞いた。
「清水左衛門(しみずさえもん)先生で、流派はよくはわかりませんが十数年前に江戸から来られた方と聞いています」
又兵衛にはぴんと来るものがあった。名前や流派は隠せても剣筋はごまかせないもの、と心の内で思った。又兵衛は自らの道場名と流派とを名乗った上で、
「して、道場はどちらに」
と聞いた。
「相模国藤沢宿(さがみのくにふじさわしゅく)近くの近藤道場です。ぜひ一度お越しください」
と、男は旧知を得たかのように喜んで屈託なく答えた。又兵衛は、その指導者の年恰好や体軀(たいく)、また連れの有無などを細かく尋ねた。そして、その男が叔父の八右衛門その人に相違ないと確信した。
相手は意外と近くにいたのだ。藤沢宿は東海道六つ目の宿で、大山道(おおやまみち)、江(え)の島(しま)道などが交わる要衝(ようしょう)にあり、遊行寺(ゆぎょうじ)の参詣人で賑わう町だと聞いたことがある。さっそく町役人でもある清十郎とも相談し、改めて町奉行所に「敵討ち」の届けを出すことにした。
5
父と祖父母とが眠る菩提寺に来ている。木枯らしの季節で、白い山茶花(さざんか)の花だけがかろうじて色を添えている。今朝藤沢へ出立(しゅったつ)となり、その前に墓前へその報告に来たのだ。傍らには菊江がいた。
「今夜は、戸塚(とつか)宿にお泊りとか。昼餉(ひるげ)の用意をしてきました」そう言って、紙包みを又兵衛にさし出した。
「ありがたい。ようやく宿意を果たすときが来た。必ず成就させ戻って来ます」又兵衛は自らにも言い聞かせるかのように言うと、菊江の目をじっと見つめながら、
「その暁には私の妻になってほしい」
そうきっぱりと告げた。昨夜からずっと考えていたことだった。躊躇(ためら)いがなくはなかったが、
やはり何も言わずに出立するわけにはいかなかった。菊江は黙ってうなずくと、
「ご武運をお祈りしてお待ちしています」そう目を潤ませながら答えた。