寺の参道を下るとそこから道は二手に分かれる。早朝で他に人の気配はなかった。林の中は静寂な空気に包まれていた。二人はそこで左右に別れた。又兵衛は何歩か行くとふと足を止め、たたずむ菊江にふり返って、

「万が一のことだが……。討ち果たせず自分が戻らなかったときは、そのときには自分のことは忘れてほしい。そして、また新たにやり直してもらいたい。それが私の本意です」

そう言い添えた。菊江は何か言いかけようとしたが、又兵衛は小さく首を振ってそれを制しそのままくるりと背を向けるとまた歩き始めた。又兵衛にはむろん叔父を討ち取る覚悟と自信とがあった。そのための鍛錬も怠らずやってきたつもりだ。だが、勝負には絶対はない。

そのことを又兵衛はわかっていただけに、後顧(こうこ)に憂いを残すようなことはできなかった。身近な人の死を背負って生きる孤独の辛さや重さを、又兵衛は痛いほど知っていた。もちろん自分のことを忘れてほしくはなかったが、その一方で菊江には何としても幸せになってもらいたかった。

まだ若い菊江に、これまでの自分のように負の思いを背負わせて生きて行かせるわけにはいかなかった。

時を告げる鐘の音が聞こえた。寛永寺(かんえいじ)のそれだろう。又兵衛は、止まっていた過去がいま再び動き始めたのだと思った。

6

冬の早朝はかなり冷える。手をこすりながら又兵衛は叔父八右衛門が現れるのを待っていた。

藤沢宿には昨日の四つ刻に着いた。まず近藤道場を捜し、編み笠をかぶったまま外から中の様子をうかがった。

気付かれぬよう江戸城で知り合った男は介さず、出入りする門人をつかまえては師範代を務めるというその男についての情報を集めた。

それによると、その男は宿の裏長屋の一角に妻女らしき人と住み、毎朝遊行寺に出かけ八つ刻辺りに道場に姿を見せるという。

案の定その刻には男は姿を現し暗くなるまで門人たちを指導していた。

「ようやくに捜し当てたぞ!」

思わず又兵衛はそうつぶやいた。

久しぶりに見た叔父は、記憶にあるそれとあまり変わりはなかった。さすがに鬢(びん)は白く眉間(みけん)の皺(しわ)は深く刻まれかつての精悍(せいかん)な面差しこそなかったが、その分落ち着いて年相応の深みが出ているように見えた。

すぐにでも乗り込んで行きたい衝動にかられたが、万全を期し邪魔が入らぬ翌朝決行することにした。叔父は毎朝遊行寺の念仏会に参加しているということで、その際境川(さかいがわ)の川沿いの道を利用するとのことだった。

橋の上に人影が見える。叔父の八右衛門だろうか。橋を渡りきると川沿いをこちらに向かって歩いてくる。一人きりのようで、他に人の往来もなかった。

「……叔父上とお見受けする。又兵衛でござる」

相手は一瞬驚いた様子を見せたが、黙ったまましばらく又兵衛の顔を見据えていた。

「又兵衛だな。待っていたぞ。凛々(りり)しい若者になったな」八右衛門は懐かし気に微笑(ほほえ)むと、

「覚悟はできている。心してかかってまいれ」

そう言って太刀(たち)の鯉口(こいぐち)を切った。反射的に又兵衛も鯉口を切って身構えた。

 

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