空しい日々
独りよがりの自分を反省する事もなく、激情に駆られて家を飛び出した一郎だったが、これと言って何の目標もなかった。その日を境に一郎の流転の日々が始まった。
目標もなく生きる事がこれほど空しく、辛いものだとは思いもよらなかった。時は空しく過ぎ去り、来る日も来る日も眠れない夜が続いた。母はどう過ごしているだろうか。毎日、馬鹿息子の身を案じて泣いてはいまいか。弟や妹はどうしているだろうか。
しばらくは友人の家などを泊まり歩き、日を送っていたが、そんな一郎を心配して友人の一人が住み込みの運転手の仕事を見つけてくれた。近くの工業団地の中の鉄鋼会社から出る鉄板の切れ端を車に積んで、東京都内にある精錬所に運ぶ仕事で、スコップで手積み、手降ろしの文字通りの肉体労働。
仕事を終えると、運送会社の寮に帰って食事を済ませ、毎日泥のように寝るだけ。休日は近くの食堂でどんぶり飯を平らげて、一日寝て暮らす。これでは何のために家出までしたのか分からなかった。
そんな風来坊のような生活を続けながら、一郎は22歳の春を迎えようとしていた。こんなはずではなかった。夢をなくした男の青春は、たまらなく侘しいものであった。
珍しく早春の穏やかな日だった。いつもはふて寝の日曜日だが、久しぶりに町の中でも歩いてみるか、と好天に誘われて町に出た。今頃、父は春野菜の種でも蒔いているに相違ない。母は漬物でも仕込んでいるのかなぁ。屋敷裏のワラボッチは、今でも子供達の遊び場になっているのだろうか。そんな事を思いながらあてもなく町を彷徨っていると、いつの間にか駐在所の前に出た。その脇の掲示板に一枚のビラが貼ってある。何気なしにそれを見ると、警察官募集のビラだった。
そのビラをしばらく眺めている一郎に、駐在所の中から一人の女性が出て来て声をかけた。
「あんた、健康そうだね。どう、警察官になってみない?」見れば、女性は駐在所の奥さんのようだ。
「公務員はいいわよ。それに社会のために働くのは素晴らしい事よ。あなたにその気があるなら、受験に必要な事を説明してあげるよ」
と言う。こうして受験の日取りや会場の事など細かく教えてくれた。その時一郎は、掲示されていたポスターの一文に目を奪われた。
「地域の治安を守る」
この文章にどういうわけか一郎は、強く心惹かれるのを感じていた。
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