白川吟社

夏の灯にのの字を書いて虫は死に

この句は、私の祖父豊松が、まだ健常者であった時に発句した川柳で号を「翁心」と称し、近郷の町村では知られた俳人だった。

この祖父が六十七歳の夏、突然緑内障で全く光を失った。しばらくは、父と母が祖父の介添えで食事や、トイレを、すましていたが、日を置かずして他人の手を借りず、最低の日常生活ができるようになった。

さて、私たちの住む集落は、冬は三mもの雪が積もる山村で、二十戸の農家がひっそりと暮していたが、冬期間は川柳の句会を開いており、これが白川吟社である。

祖父が盲目となって三年、自立した生活を送れるようになり、白川吟社は、豊松の古希を記念し、豊松の大好きな川柳句会を、数年ぶりに、父應吉の発起人で、開催した。祖父も、大張り切りで、大学ノート半面に一句ずつ盲目ながら、書き留めていたことを思い出す。

この祖父の大学ノートは残っていないが、句会に寄せられた、二百六十の句集には、鈴木翁心様二十五番選と父の筆跡があり、難しい漢字には、ルビが振られている。

この句集は投稿者全員互選をするので、六年生の私が、祖父に一句、一句読み聞かせ、祖父の選んだ句には、赤丸がつけてある。

全投句者に、句集が配達された後、句会が村の分教場で開かれた。

「父豊松の選句は、孫の一義が代読します。これが本当の盲選です」と一同を笑わせ、父が私を紹介した。

翁心選 天位句

ほんのりと妻新春の屠蘇に酔い

この句会の折、最初に発起人としての、父の挨拶があった。

今回の句会開催に当たり、集落の川柳愛好者より、多くの投句のあったお礼と、盲目となった父豊松を元気づける句会に、ご理解いただいたこと。そして、地域の皆様の支えにより、高齢での盲目にもかかわらず、元気に年を重ねていることの報告だったように記憶している。

私は、生まれて初めて、公の場での父の挨拶を耳にした時で、子供心に、理路整然とした話の内容に感じられ、父の頭の良さに感動したことを覚えている。

今、あの時のことを思い出すと、盲目となった、祖父の余生が穏やかに過ごせるようにと、願っていた父の思いが、発起人として、川柳句会を開いた、ひとコマだったと思い起こせるのである。

 

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