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まだ松の内だというのに、病院玄関前のロータリーを縁取るように植えられた水仙のつぼみがすでに膨らみ始めている。信州に比べるとさすがに暖かい。幸田正太郎はそう思いながら、まるでホテルのエントランスを思わせる関東臨海病院の玄関脇に立っていた。

その玄関前に今、一台の乗用車が停まったところだ。車はクラウン・ロイヤルサルーンだが、名車とはいえ年式が古いだけで、クラシックカーの仲間入りをするほどでもない。

急いで降りてきた秘書と思われる男性が恭(うやうや)しく開けた後部座席のドアを手で押しのけるようにして、初老の男性が降りてきた。量販店に吊るしてあるような安っぽいグレーのスーツを着ているが、お腹の出っ張りで上着のボタンがはじけ飛びそうだ。

男性は、玄関脇に並んで頭を下げる数人の職員たちに向かってにこにこしながら近づいた。

「いやいや、みなさん、わざわざお出迎えいただき恐縮。ご苦労様です」

ひょいと片手を上げて皆にそう声をかけると、気ぜわしい足取りで院内に入っていった。

玄関脇に並んでいたのは、院長、副院長、看護部長、事務長、いずれも病院の幹部職員たちだ。およそ一ヶ月前、この関東臨海病院に副院長として赴任してきた正太郎もその中の一人で、先ほどから、医王会グループ会長兼医王会中央病院理事長である天城敬三の到着を待っていたのだ。

「本日は遠路お越しいただき、誠にありがとうございます」

いろいろと口上を用意していた院長も、そこまで言うのが精一杯で、あっという間に院内に消えた天城会長の後をほかの幹部連中と一緒に慌てて追った。

六年前、幸田正太郎は自らが考えついた外科総合診療医を目指し、単身で信州の養老町にある町立養老病院に赴任した。

大学の先輩で、伝説の脳外科医と言われていた伊能忠副院長を頼りに赴任してきたが、伊能は地域病院の統廃合をめぐる権力争いに巻き込まれ、当時は免職寸前まで追い詰められていた。

しかし、この権力争いは、加賀美というもう一人の若い副院長と老獪(ろうかい)な事務長、土屋の二人が、自分たちの出世のために仕組んでいたことが明らかになり、逆に彼らが病院を追い出されるという結末で幕を閉じた。その結果、一転して、町から懇願された伊能が町立養老病院の再興を任されることになった。

伊能は、病に苦しむ者は何人(なんぴと)でも受け入れて癒やしと安寧をもたらしたとされる古代ギリシャのアスクレピオスの神殿を理想に掲げ、病院改革に取り組んだ。

正太郎は、その伊能を全力で支え、養老病院再興の苦楽を共にした。そののち、県幹部から見込まれた伊能が、新たに創設された県立地域医療センター付属の東部救命救急センター長に任命されると、正太郎も伊能と一緒に救命救急センターに移り、二年前から伊能の右腕として活躍を続けていた。

しかし、正太郎はそこで思いもかけずパワハラ騒動に巻き込まれ、その責任を取る形でセンターを去ることになった。

ちょうどその頃、たまたま音信を再開していた東京医科薬科大学のクラスメイトで、今は関東臨海病院の院長職にある工藤敦史に懇願され、この臨海病院に入職することになったのだ。

工藤から何度も懇願されたことで副院長を引き受けることになったが、自分自身の身の処し方に迷っていた時でもあり、正太郎にとって臨海病院への入職は正直なところ望外の僥倖(ぎょうこう) で、工藤に救われた思いであった。