当時の私は、平和を願うだけであって左翼思想ではなかった。むしろ、もともと天皇を中心に捉えた日本史の研究者になり、日本神話にある神武建国の地である奈良橿原で職を得たいと思っていたので、保守的傾向が根底にあった。

従って、右翼か左翼かといった二項対立図式で争うなどは考えてもみなかったのである。

しかし、自身の思想形成はアンバランスであり、人格と共にまだまだ未熟であった。

そんなある日、高橋校長の特別訓話があり、全員講堂に集合させられた。高橋校長が文豪三島由紀夫が自決したと興奮して話し、号泣したのであった。

今ならある程度の理解はできるが、当時の私には、割腹自決はサムライの作法であり、ノーベル文学賞の候補者ほどの文豪が何故決行したのかが理解できなかった。

しかも市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部(現防衛省)で自衛隊員を前にして述べた、最後となるメッセージは何なのか、クーデターなのかと、

あとで理解したのだが、太平洋戦争(校長は大東亜戦争と言っていた)終戦後のGHQ占領下の中で、日本人ではなくアメリカ人が僅かの期間で作成した憲法草案を国民投票もなくして制定して、一時の占領期間内に留まらず、未だに自国の憲法を制定しないことへの三島の憤りが、現日本国憲法はまやかしであり、

憲法改正への熱烈な想いとなり、9条では、自衛隊の存在すら明確でないことと、それに対して自衛隊員は立ち上がらないのかと奮起を促した行動だと、自己解釈で概ねのことを知ったのだが、

当時17歳にはなっていたとはいえ、私レベルの考えでは三島の思想や行動は許容範囲を超えていたのであった。

それから、号泣している校長や舎監も理解できなかった。今では、両者は三島と同じ思想を共有していただろうと考える。

校長もかつてのエリートであり、三島も東大から大蔵省(現財務省)に入ったエリートであり、思想の根底には「大和魂」がある。

三島が小柄で痩せた体を筋骨隆々の肉体に鍛え上げたことも、高橋校長が海軍兵学校式の寮生活で取り入れた、まず身体から鍛え抜くという教育理念にも相通じるのである。

しかし、当時の私には、イデオロギーや宗教の違いで殺し合ったり戦争をすることが、真の人間の姿なのだろうか? という考えがあり、左翼もよくわからないが、右翼もわからなかった。

そのため、理系・工業電気系から、一日も早く文系に移りたくなったのであった。しかし、無情にもこの生活はまだまだ続くのである。

このような出来事は、自身の夢実現には何の関係もなく、寄り道なのではないかとも思われたが、自身の置かれた環境に逆らわずに、暫くはここで、偏りのない思想の醸成と人格形成の基礎を培うことにした。夢実現への充電期間はまだまだ続いていく。

 

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