【前回の記事を読む】ますます痩せた父を残して、僕は寮に戻ってしまい…胸騒ぎは的中。父は1人暮らしの中で倒れた。15歳の自分に為す術はなく…
4 怒涛の高等部時代
思想への目覚め ―文豪三島由紀夫の死―
後に北山は、九州の大学で「臨床倫理学」の教授を経て、文化庁長官に就任した。現在は某大学の学長である。
岡林は牧師にはならず、年老いてもなお色褪せないフォークソングの宣教師として歌い続けている。
このように二人とも一徹な人生を歩んでいる姿が当時の少年のこころを捉えたのである。
それから時代背景も後押ししたのも事実である。
1969年の東大安田講堂事件から端を発した学生運動も盛んであり、「よど号ハイジャック事件」や「日本赤軍」、「テルアビブ空港乱射事件」等々のテロ事件へとつながった世相であった。
自分自身の思想も定まらない時期ではあったが、この年代特有の社会の矛盾に対する批判的なところがあったのだろう。
この時代に若者の支持を得ていた北山や杉田、岡林は、左翼といわれるほどの過激派ではないが、この時代の矛盾を曲で表現していた。
私もこの3人の曲を中心にギターの練習をした。独学でアルペジオやフィンガーテクニックもマスターした。米国のフォークソング曲も練習して、部活仲間と寮の誕生会やアマチュアコンサートなどで披露していた。かなりのレパートリーとなっていた。
ところが舎監や上級生たちのフォークソングに対する評価はよくなかった。
それより「同期の桜」や軍歌がよく歌われていた。ここでも校長の思想的影響と軍隊へのノスタルジアが窺えたのだが、否定はしないが、私には馴染めなかった。
多くの戦死者や、民間人までが犠牲となり、尊い命を失うことになった戦争を美化することはできないのであった。