「外(廊下)で誰かが声かけているよ……」と、母が言った。

「知らない人が話しているだけだよ、お母さんに用事じゃないから気にしないでいいよ……」

その数分後、母は「言葉が通じないの……」と、ポツリと言い、母の悪夢が始まった。

「伝わらない、言葉が伝わらないのよ。喋っても、通じないの……」
「誰と話しているの……」

こうした時、声をかけて良いものか、会話を試みるべきか否か、私は判らずに困惑していた。

「わからない……。頭の骨が、どうかなっていくみたい」

「頭が痛いのか」
「痛くない」

「じゃ、意識が混乱しているのか」
「していない」

「頭の中がどんな感じなの」
「どんな感じでもないよ」

「それじゃ……」
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」

「どうして“ありがとう”ばっかり言うの」
「恐怖なんだ。恐怖なんだよ」

「怖くなんかないよ。一人ぼっちなら怖いけど、お母さんは一人じゃないんだから。今お母さんが苦しいなら、辛いなら、怖いなら、俺も一緒に苦しむから、そばにいるから、孤独じゃないから……。大丈夫だよ、今はちょっと夢を見ているだけ、もう少ししたら覚めるから、怖がらないで……」

私はたまらず、初めて母を抱きしめた……。