脳裏に浮かぶのは、まだ彼女が自由に動けていた頃の記憶だ。
僕が時間を切り崩して働き、一円単位で生活を切り詰めている傍らで、彼女はブランドの服を買い、高価な化粧水に囲まれていた。僕が教科書を開き、必死に母の期待に応えようとしている横で、彼女は友達と楽しそうに長電話をしていた。
僕が欲しいものをすべて我慢し、母に不満をぶつけることさえ封印してきた中で、彼女は甘えるようにして欲しいものをねだっていた。
女の子だから。たった一人の兄だから。その理由だけで僕はすべてを飲み込み彼女の後始末を押し付けられてきたのだ。
この心の中にある『モヤ』を、僕は誰にも話せずにいる。
もし本音を漏らしてしまえば、周囲が勝手に作り上げた『いいお兄さん』という虚像が崩れ去ってしまう。それが怖くて、僕は誰に対しても誠実な兄を演じ続けてきた。
心の中ですら、本当のことを話せる相手がいない。そんな自分自身を、僕は情けなく恥じている。
「……ずるいよな、瑠璃」
彼女はいい。ただ眠っているだけで、母の呪縛からも、現実の重みからも免除されている。
今日、僕は大学を休み、店長からもらった6000円を握りしめて友達と会う。それは母へのそして眠り続ける彼女へのささやかな反逆だった。
「今日は僕も、君みたいに普通に生活します」
掠れた声で告げた言葉は、誰に届くこともなく、白い壁に吸い込まれて消えた。
次回更新は7月21日(火)、20時の予定です。
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