どこをどう走ったのかはまったく分からないが、やがて目的地に着きバスを降り、入り口のゲートを潜り抜けたところでまたもや驚いた。眼前に巨大な建造物がいくつも現れたのである。

それは1960年代後半に建設されたLappis(ラッピス)と呼ばれる高層集合住宅群だった。約3000戸の住居を備え、ストックホルム最大の学生及び社会人(要学生身分)向け住宅として知られていた。

そのうちの一つにウッラは住んでいて、そこを私に宛(あて)がってくれ、彼女は同じ階に住むアンデッシュというボーイフレンドの部屋に移る手筈を整えていた。先に述べたフィンランドの女性は、学生の身分をもつ社会人であったのだろう。

結局のところ、私は1か月彼女の部屋で寝泊まりし、おまけに彼女は食事の面倒もみてくれたのだった。お金を払おうとしたが、仕事が見つかり生活の目途(めど)がつくまではここにいろとのことだった。このような歓迎を受けるとは思ってもいなかった。

Anders(アンデッシュ)は理工科学校の学生で、1年間日本の企業で研修をしたとのことだった。

彼らには私がスウェーデンで自活できるようになるまで色々な面でお世話になったが、十分なお返しもできないまま、私は半年後にスウェーデンを離れることになった。

食文化に特別な関心はなかったので、スウェーデンをはじめ旅行なり滞在した異国の料理には、これといったことがない限り言及はしないが、彼らが用意してくれたものは学生らしい簡素なものではあったが、スウェーデンの学生が食事を準備する場面に出会えたことは、得難い体験であった。そして、ここの料理場兼食堂で前に述べたフィンランドの女性に出会ったのである。

ある夜のこと、食堂に同じ階の住人たちが集まってきた。なんでもこれからテレビで「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」が始まるとのことだった。

初めて聞く名前で、何のことかは分からなかったが、テレビを見ていれば分かるとのことで、しばらく見ていたが、どうもヨーロッパ諸国から国を代表する歌手が楽曲を披露し、点数を競うものらしかった。

当然ながら英語以外の曲もあり、それはそれで見ていて楽しいものだった。どういうわけかフランスの代表者がおらず不思議に思っていたが、今、調べてみるとこの年にポンピドゥー大統領が亡くなったとのことで、フランスはコンテストへの参加を辞退したとのことだった。

それはそうと、この年の優勝国はスウェーデンで、ABBA(アバ)というグループが歌う『Waterloo(「恋のウォータールー」)』だったが、周りにいたスウェーデンの学生たちは特に浮かれるわけでもなく、静かに終わるのを見届けていたようである。

個人的には特段感銘を受ける曲ではなく、商業ベースでは成功するだろうとは思っていたが、この曲でこのグループが世界へ羽ばたいていくことなど、当時は想像すらできなかった。この年(1974年)のユーロビジョン・ソング・コンテストは英国のBrightonで開催された。

 

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