【前回の記事を読む】そのソフトウェアはアメリカで殿堂入りを果たした。日本が誇る"東芝"が、世界で初めて成功させた技術。それは火力発電所のデジタル全自動運転だ
パート1 「世界初」で「殿堂」入り―日本のデジタル産業黎明期の東芝
米国、武者修行
1963年秋から、東京電力横須賀火力発電所の3/4号機で、米国GE社から主メモリーが磁気ドラム式のコンピューター・データーロガーが輸入され、このとき、米国人の現地調整技術者が来たので、私は通訳を頼まれて、勉強を兼ねて発電所に4ヵ月近く、京浜急行の久里浜駅まで2時間半かけて通った。
無事稼働が始まり、次の5/6号機(各265MW)を東芝が受注したので、このコンピューターのハード、ソフトを東芝がGEに発注することになった。
そのコンピューターに何を計算させるか、いわゆるアプリの仕様書づくりのために、私はニューヨーク・マンハッタンにあったEBASCO Service社(GEの子会社で、設計エンジニアリングをやっていた)に3ヵ月間派遣された。初めてのアメリカ。1964年6月。父母兄姉とフィアンセが総出で羽田に送りに来てくれた。
EBASCOは、先の横須賀火力発電所3/4号機(タービン・発電機はGE社、ボイラーはCE(Combustion Engineering)社、プラント設計取りまとめをEBASCO社が受注したプラント)のコンピューターシステムのアプリの設計をしていたので、その3/4号機を国産化した5/6号機(プラント取りまとめ、タービン・発電機は東芝、ボイラーは石川島播磨重工社(IHI))に対応した設計をミッションとして行った。
EBASCO社のオフィスで、ボイラー・タービン・発電機・プラント全体を熱力学(エンタルピ、エントロピ)の数式モデル化し、これで性能計算などをする仕様書を3ヵ月でまとめ、この仕様書を、アリゾナ州フェニックスにあるGE社のプロセスコンピューター事業部に行って、プログラム(ソフト)および、ハードを含むコンピューター全体の仕様も確認して、製作依頼をした。
アリゾナへは、NYからワシントンまで飛行機、ワシントンから列車でノースカロライナのグリーンズボーロまで行き、ここでガス検出器(ガスクロマトグラフ)の会社に寄り、そこからまた列車でチャールストンに出て、そこから飛行機でフェニックスに入った。田舎の汽車旅行は大変良い思い出になった。