1949年になると、Kはほかの男たちが手を出さないよう、大っぴらに政子の周りをうろつきまわり、直人の恩給が出る日には「みかじめ料」として政子から金を持っていくようになった。そしてKは、葉山の家で駄菓子屋をするよう政子に勧めた。

軍属ではなく文官だった直人の遺族年金は入っていたものの、それすら政子の自由にならなくなっていた。

Kは身体が大きくて粗暴な男だった。

小さくて力がない4歳の仁は、家におそろしいものが居ついてもどうすることもできない。

Kはいつ家にやって来るか分からない。そして子供たちの中で唯一男である仁に対し、優しいこともあれば、機嫌が悪い時にはおもちゃのようにいたぶることもあった。

Kが来た夜、子供たちは隣の部屋で寝かされる。

ふすまの向こうのKと政子の息遣いや物音を聞きながら、長女道子は幼い真理子をあやしながら黙って涙を流した。仁は政子を助けたいが、Kとひそやかにむつみ合う政子の気配に、口惜しさと恥ずかしさ、怒りを覚えた。その感情は自分でも説明できない苦しさであった。悶々として、いつまでも眠ることができなかった。

仁が小さな頭で懸命に考えたのは、この場所から逃れることであった。

「ここには居られない。学校から帰ったら着替えて逗子駅から電車に乗り、たまこおばちゃまの家へ行こう」

自分でもなぜそんな勇気が出たのか分からない。電車の好きな仁は、逗子駅から東京行きに乗れば、珠子(たまこ)の家に行けることを知っていた。

「だって、優しいおかあちゃまはいつか自分たちを捨てるかもしれないもの。いや、もう捨てられたも同然ではないか?」

政子がKと楽しく夕飯の膳を囲む姿を、仁はもう見たくなかった。

逗子から品川へ、そこから電車を乗り継ぎ渋谷へ、てくてく坂を上って青山から六本木へ。道に迷いながらやっとの思いで、仁は麻布龍土町の家に着いた。

当時、珠子は六本木で進駐軍向けのクリーニング店を営んでいた。

河井珠子は「帝国電球製作所」を作った河井俊太郎の娘。電球の球(たま)にちなんで「たまこ」と名付けられた。仁の祖母美佐緒と珠子が従姉妹、仁にとっては義理の大叔母にあたる。

政子は珠子が好きで、交流があった。政子に連れられ何度か珠子の家に行っていた仁は、大冒険の末、目指す安息の地へとたどり着いたのだ。

 

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