【前回の記事を読む】大人しそうな文通相手の女性に会いに行くと…時速110キロでぶっ飛ばされた。しかも野生動物の亡骸だらけの道を走り始め…
初めての海外旅行 1971年のアメリカ
【オハイオ州】
彼女の家族は50代のお父さん、お母さん、おばあちゃん、そして彼女の4人、それに加えて白に黒い斑の入った大きな犬である。
やはり、長旅の後ということでまずは休憩。すでに独立して家を出たお兄さんの部屋を使わせて頂いて、すぐ昼寝。
先週と違ってここは北部。すぐ隣は南北戦争では北部のヤンキーとしてミシシッピー州など南部を敵に戦った歴史のあるペンシルバニア州である。
ぐっすり寝込んで目覚めると翌朝であった。
早速、家族に囲まれて朝食。日本の私の家族や学校のこと、そして今回これまで訪ねてきたカリフォルニアやミシシッピーのことなど皆興味津々に聞いてくれる。なにせ、彼らもカリフォルニアやミシシッピーなど行ったことがないのだから、こちらのほうがアメリカをよく知っていることになってしまう。
この家族は女3人に男はお父さんのみで、一種の女系家族らしい。
180センチ近くはあるでっぷりと恰幅が良いのにもかかわらず、お父さんは食事中の会話などでも何かにつけてお母さんや娘にやり込められて分が悪い。気のいい真面目な農夫と言った感じのお父さんであるがちょっとかわいそう。
日本から持ってきた白地に青い花柄の浴衣を彼女にプレゼントすると、早速着て見て、「ビューティフル!」と大喜びをしてくれた。黄色の帯もインスタントなので結ぶ必要がなく、気にいってくれたようだ。
Tシャツに短いホットパンツ姿で、典型的な活発で気の強い女の子風の彼女が浴衣を着るとしとやかな女性に見えるから不思議だ。
翌日は彼女の通うオハイオ州立大学のキャンパスに行って講義の一部を聴講し、先生や級友たちに紹介された。
前部が低い劇場型の教室の後ろの席で遠慮しつつも興味津々で講義の様子を窺っていたが、日本人は珍しいとあっていろいろな質問を浴び、何だか日本を代表する外交官にでもなった気持ちだ。
ここ中西部の若いアメリカ人には日本は遠く関心も少ない極東の未知の国である。
高校生の頃から憧れたアメリカ留学の夢が一日だけ叶った格好だが、これでも叶ったことに違いはない。改めて母親に感謝。
オハイオ州立大学と言えば、ベトナム戦争反対で荒れる学生運動に州兵が動員されて数人の学生が殺された大学である。