【前回の記事を読む】「日本人なら漢字書けるだろ」と白い紙と筆を渡され、自分の名前を書いた。日本人や中国人に見せないでほしい。
初めての海外旅行 1971年のアメリカ
【オハイオ州】
さて、ここからは北部のオハイオ州を目指す。南の端から北の端まで中西部と言われる地域を縦断する格好だ。南北にはやや短い国なので、カリフォルニアからミシシッピーまでの距離の半分以下か。バーボンウィスキーが有名なケンタッキー州を抜けると目指すオハイオ州である。
オハイオ州には中学生の時からずっと文通をしている同年代の女の子が住んでいて、この子を訪ねようという訳である。
話は中学生になって英語を勉強し始めた頃に遡る。当時、中学生向けの月刊誌で流行っていた文通欄でアメリカ人の中学生が日本人の中学生と文通を希望しているという投稿が目に入った。
1960年代の当時は、テレビなどでアメリカのホームドラマや青春コメディー、刑事ドラマなどが花咲く時代だった。ドラマで見る大きな家、モダンなソファーや家具、格好良い車などは貧しい日本から見るととても華やかで魅力的だった。
アメリカという国に大いに憧れを抱いていた私はこれに非常に興味を感じて、英語の先生の助けを得ながら何とか手紙を書いてみた。
船便利用の時代だったので時間が掛かったが、2ヶ月ほど経った頃にアメリカの切手が貼ってある国際郵便が届いた。送り主はメリべスさんというらしい。夢見る心地で封を切ると、女の子らしい綺麗な模様入りの便箋に、丁寧な手書きの英文で2ページほどある。
しかし、当時の自分の英語力では辞書を使っても太刀打ちできず、翌日学校で英語の先生に助けてもらいながら読んだ。便箋から華やかなアメリカの文化が匂って来るようで嬉しかった。それ以来、大学3年生になるまで約7年間文通を続けた。これだけ長く文通を続けているとお互いに気が通じて、ほんのりではあるが一種の擬似恋愛的感情を抱くのも確かであった。
そんな訳で実際に会う彼女はどんな娘だろう、家族はどんなだろうと想像しながらワクワク、ドキドキの旅であった。彼女が住む町はオハイオ州の東北部の端でニューライムという小さな町であった。州都クリーブランドでバスを乗り換え、アシュタビュラという名の街まで彼女が迎えに来てくれる算段になっていた。
待合室のベンチで待っていると、しばらくして入り口のドアが開き、小柄で小太りの若い女性が入ってきた。茶色の髪にめがね、ちょっととがった鼻、いかにも、快活、活発な感じの馴染みのある顔である。紛れもない青春の文通相手、メリベスさんである。相手も文通中に送っておいた写真のせいかすぐこちらに気づき、まっすぐ歩み寄ってくる。
「ハロー」、
「オー、ハロー」と挨拶の後いきなり頬と頬を合わせてのキス。慣れない仕草につい体が強張ってどこかぎこちないキスである。文通では、すごく大人しい、やさしい印象だったが、実際会ってみると、物怖じしない活発な21歳のアメリカの女の子である。早速、彼女の車へと案内される。