はじめに

2020年の師走、世に言う「人生古代より稀なる」年齢を迎えた。身体の衰えや痛みと戦う日々は心にもキツイ。が、かと言ってもう一度若返るのもシンドイ気がする。

特に今を嘆いたり、いたずらに昔を懐かしんだりするつもりもなく自然に毎日を過ごしてはいるが、やはり人生の終焉を意識する年齢になったのも確かである。

ここで、これまでの暮らしの悲喜こもごもを振り返って、これまでに出会い、お世話になった掛け替えのない方々への感謝の気持ちに代えて愉しく、珍しく、忘れ難い海外体験を伝えたい気持ちに至った。

さて、これまでの自分の人生を考える時、私はいわゆる運命や自分に与えられた使命というようなものについて考えずにはいられない。

そんな難しいことなど何も考えずに夢中に生きていた若い時を過ぎ、人生も明らかに半ばを越えた五十路あたりからは自分の有り様にも一定の大きな特徴があることが見て取れ、それはまるで「既定」の路線であるかにも見える。

それが「何故なのか」と言う問いには今でも答えることは難しく、追求しようとすればスピリチュアルな世界に頼るしかないように思える。

私が生まれたのは20世紀のちょうど真ん中の1950年である。日本の敗戦から5年。いわゆる「戦後世代」。戦後のベビーブームの一番最後あたりか。

北には赤城山がくっきりと雄姿を見せ、はるか西には浅間山が見渡せ、南は東京まで続く関東平野の北端に近い群馬県新田郡(現在は太田市)と言う米どころである。

内陸部とあって、夏は暑く、毎日の様に雷が鳴る全国でも有数の落雷多発地区である。冬は寒く、赤城下ろしと呼ばれるカラカラに乾いた北風が埃を巻き上げ、子供や自転車などはうっかりすると名物の「空っ風」に飛ばされそうな程である。