マリア・ルス号事件

明治4年11月、副島(そえじま)種臣[注4]が外務卿の時である。明治5年6月1日、横浜港に南米ペルー国商船・マリア・ルス号三百五十噸が漂着し、船客の脱走事件がおこった。

同船には積荷もなく、支那人苦クーリ力225名を含めた300名ほどの支那人を載せていた。4月22日ペルー国カリアオに向けマカオを出港した。権令大江卓[注5]は奴隷売買船だと本省へ報告する。領事裁判権がない日本であったが、県令大江卓と外務卿副島はこの非人道的な事件に対し、支那人たちを解放すべきと断じたのである。

この決断に対して、船長ヘレラおよびペルーの弁護士は、マリア・ルス号出港停止による損害賠償の請求があったが拒絶した。のちに、清国政府は特使を派遣し、副島卿に深い感謝を謝し、清国人の保護にあたった。

徴兵論

明治5年2月27日、兵武省が陸軍、海軍の二省に分かれて、同年11月に長州の山縣有朋[注6]は兵部大輔(たいふ)から陸軍大輔となり、同年11月山縣の徴兵論は廟議の採用となる。その他、地方自治制と教育勅語渙発翼賛の功績は山縣の三大功績と言われた。その功績は、憲法制定の伊藤博文のそれに匹敵する。


[注1]大久保利通(おおくぼとしみち)

薩摩藩士、維新の三傑。幼名は正袈裟(しょうけさ)、のちに正助・一蔵。初代内務卿、明治11年5月14日紀尾井坂、清水谷で不平士族に襲われ死亡。

[注2]西郷隆盛(さいごうたかもり)

薩摩藩士、維新の三傑。幼名は吉之助。

[注3]西郷従道(さいごうじゅうどう)

鹿児島藩士、尊王攘夷運動に参加、戊辰戦争に従軍。第一次伊藤内閣の海相、明治27年海軍大将。

[注4]副島種臣(そえじまたねおみ)

父は佐賀藩士、藩校到遠館の教授を務めたあとフルベッキに師事、英学に努めた。明治4年外務卿、明治6年征韓論争に敗れ下野、板垣退助、後藤象二郎らと愛国党をたちあげ、民撰議院建白書を政府に提出、第一次松方内閣の内相。約3年間中国大陸漫遊し、李鴻章等と交遊する。樺太国境問題、琉球帰属、マリア・ルス号事件などを担当。

[注5]大江卓(おおえたく)

父は高知藩家老伊賀氏の家老、慶応3年陸援隊に入隊し倒幕運動に参加。

[注6]山縣有朋(やまがたありとも)

父は萩藩士、松下村塾に学ぶ、騎兵隊の軍監として活躍、明治18年第一次伊藤内閣の内相、明治
22年、第一次山縣内閣、明治31年第二次山縣内閣を組織、日露戦争時は参謀総長歴任。山縣有朋が内閣総理大臣として、数回内閣を組織したが、憲法制定の伊藤博文のそれに匹敵する業績は、地方自治制の制定と教育勅語渙発翼賛、徴兵制度の確立である。

山縣有朋は明治5年11月徴兵令の制定を発布した。明治16年以後、山縣有朋の渡したバトンを引き継いで、国軍の軍政改革をしたのは、ドイツから帰朝した桂太郎である。

 

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