「成程趣味」の深み

その第二場で葬列に飛び込んできたリチャードは「やい! その死体を下ろせ、従わんやつは、誓って、死体にしてやる!」と怒鳴る。この科白の横に漱石はこう書きこんでいる。

Glosterノ言語ノ激烈ナルヲ見ヨ

この「激烈ナル」リチャードにアンは「人間の目に悪魔は見るに耐えない。お下がり、おぞましい地獄の手先!」に始まる最大級の悪罵(あくば)を投げ続け、これに長く耐えたリチャードがやがて口を開く。

リチャード
あなたは慈悲の掟をご存じない。
悪には善を、呪いには祝福をもって報いるものだ。

アン
悪党、お前こそ神の掟も人の道も知らないくせに。
どんな獣(けだもの)でも憐れみのかけらぐらいは知っている。

リチャード
だから私は獣じゃない憐れみなんか知らないから

アン
まあ、不思議、悪魔が真実を言った!

リチャード
もっと不思議だ、天使が怒りをぶちまけた。

三行目のアンの科白とそれに応じたリチャードの「だから私は獣じゃない」云々の横に漱石はまた、今度は二重下線つきで「formulae」と書きこんでいる。この対話は、実は『文学論』第四編「文学的内容の相互関係」中の「頓才」の節で引用されて「此種の趣味を成程趣味といふ。知力に訴へて成程と思ふとき始めて面白味を生ずるが故なり」と論説されるものである。

すなわち「公式」はこちらでは「成程趣味」の公式を指している次第で、この書き込みもまた、さきの「除去法の公式」同様、『文学論』のもとになった英文学講義に備えてのものであった可能性が高い。仮に講義で使われなかったとしても、文学の総合的解剖・理論化という『ノート』で続けられていた着々たる営為の一環であったことは間違いない。


※1  監獄を兼ねるこの城塞で、リチャードは実兄ジョージのほか、甥にあたる王子二人をも暗殺させるが、これらの経緯は史実にもとづく。

『吾輩は猫である』第一回と同じ一九〇七年一月に発表された短編小説「倫敦塔」(本書80頁以降参照)には、王子が「命さへ助けて呉るゝなら伯父〔叔父〕様に王の位を進ぜるものを」などと口にする場面があるが、この科白は『リチャード三世』にはない。王子の他の言動から推量された心境の表現と見られる。

 

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