【前回記事を読む】旅館の取材に来たはずなのに、「個人的にお話したいです。女将さんと」とディレクターが手を握ってきた…その夜、興奮気味に…

湯けむり宿の女将と、嫉妬のさざ波

夫の、知らない顔

テレビの放送日が決まってから、よし子の毎日はますます慌ただしくなった。

追加の撮影、SNSの更新、雑誌からの取材依頼。水城からは、毎日のように連絡が入った。

「女将さんの若い頃の話を聞かせてください」「前のご主人を亡くされた時の、お気持ちは」

水城はよし子の人生を、まるで一冊の本のように、丁寧に聞き取っていった。ある日は、温泉街の喫茶店で2時間も話を聞かれた。

(前の夫を亡くし、職を失い、崖っぷちで山奥へ来た。そんな私の50年が、誰かにとって、意味のあるものに思えるなんて)

聞いてもらえるのは、素直に、嬉しかった。水城は、よし子を一人の女性として、丁寧に扱ってくれた。喫茶店では、よし子が好きなコーヒーの種類まで、覚えていた。そんな小さな気づかいが、いつのまにか、よし子の毎日の、ささやかな張り合いになっていた。

一方で、藤乃屋の常連客の中には、「最近、女将さん、忙しそうだねえ」と、少し寂しそうに言う人もいた。よし子は「すみません」と笑って受け流したが、その言葉は、小さな棘のように、胸の片隅に残った。

「女将さん」

ある朝、節子に呼び止められた。

「最近のあなた、ちょっと地に足がついてないわよ。お客様より、カメラの方ばかり気にしてる」

よし子はどきりとした。けれど、つい言い返してしまった。

「これも旅館のためなんです。節子さんには、分からないかもしれませんけど」

口に出した瞬間、しまった、と思った。節子は何も言わず、ただ小さくため息をついて、背を向けた。

(ひどいことを言ってしまった。あとで、ちゃんと謝らなきゃ)

そう思いはしたが、立ち止まる暇はなかった。次の撮影の時間が、もう迫っていた。