【前回記事を読む】あの時と同じ露天風呂…でもあの時よりもずっと深く、愛しあった。「もう1回だけ」と囁かれ、湯けむりのなか重なりあって…
湯けむり宿の女将と、嫉妬のさざ波
湯けむり宿に、テレビが来た
あの露天風呂で「何度でもキスして」と笑い合った夜から、1年半が過ぎた。
よし子は50歳になった。藤乃屋の女将として、すっかり板についている。毎朝5時に起きて、廊下に雑巾をかける。お客様の名前と好みを記したノートは、もう3冊目になった。美咲と一緒に始めたSNSも、こつこつと続けている。いつのまにかフォロワーは1万人を超え、山あいの小さな旅館に、週末は満室の札がかかる日も珍しくなくなっていた。
「女将さん、今日も満室ですよ」
仲居の節子に言われるたび、よし子は不思議な気持ちになる。
(1年半前まで、私はただの元パート主婦だったのに)
支配人の雅彦も、よし子の頑張りを、いつもそばで見守ってくれていた。夜、二人で帳場に並んで、その日のことを話す。「君のおかげだ」と言ってくれる、その一言が、よし子の何よりの支えだった。
その朝、帳場の電話が鳴った。
「東京の制作会社の者です。テレビの旅番組で、藤乃屋さんを紹介させていただけないでしょうか」
よし子は受話器を握ったまま、声を上げそうになった。
(テレビ。あの藤乃屋が、テレビに映るなんて)
その夜、よし子は美咲に電話をかけた。
「テレビですって。お母さん、どうしよう」
『すごいじゃない! お母さんは藤乃屋の顔なんだから、堂々としてれば大丈夫だよ』
娘の弾んだ声に、よし子の胸も少しずつ高鳴っていった。
