(こんなふうに、誰かに必要とされるのは、いつ以来だろう)

夕方、玄関でのお出迎えの場面を撮ることになった。雅彦も支配人として、お客様を迎えようと、よし子の隣に立った。けれど、カメラが追うのは、にこやかに頭を下げるよし子ばかりだった。

「すみません、ご主人は少し下がっていただけますか。女将さんを中心に撮りたいので」

雅彦は、黙って、すっと後ろに下がった。よし子の背中の向こうで、その表情は、もう見えなかった。

撮影が終わったのは夜だった。水城は帰り際、よし子の手を握り、真剣な眼差しで彼女を見つめた。

「女将さん、また個人的にお話を聞かせてください。あなたの人生を、もっと知りたいんです」

その夜、離れに戻ったよし子は、興奮気味に雅彦に話しかけた。

「ねえ、聞いて。水城さん、藤乃屋の特集を30分に拡大したいって。すごいことよね」

雅彦は布団に入ったまま、「そうか」とだけ言った。

「明日も朝から撮影なの。私、何を着たらいいかしら」

「……好きにすればいいよ」

雅彦はそう言うと、よし子に背を向けた。

「おやすみ」

いつもなら、もう少し話を聞いてくれる人なのに……。

よし子は雅彦の背中を見つめた。

(雅彦さん……どうしたの? 何か、怒っているの?)

広いはずのその背中が、今夜はなぜか、ひどく遠くに感じられた。山あいの夜が、しんと更けていった。

 

 

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