骨肉腫の宣告と、十時間の手術
怒りも涙も、もはや追いつかないまま、私たちは紹介された別の大きな病院へ向かった。
診察室の中は、不自然なほど静かだった。白衣の医師は、画面に映る画像を指でなぞりながら、静かな声で言った。
「恐らく、骨肉腫です」
その言葉を聞いた瞬間、ドラマでしか見たことのなかった光景が現実になった。足から力がすうっと抜けて、その場に座り込む。床の冷たさだけが、妙にはっきりと伝わってきた。
「長丁場になります」
そう告げられ、私たちは院内学級のある病院へ移った。
息子は着いたその足で、手術室に入っていった。手術前の説明は、主に息子に向けられた。
「自分の病気を知っていますか?」
息子は、はっきりと病名と、治療の流れを答えた。
私よりも、ずっと冷静だった。
「足を切断しますか? 残しますか?」
あまりにも直球な問いに、私は息を呑んだ。
息子は少しも迷わずに言った。
「残す方向でお願いします」
「その場合、命のリスクは高くなります」
「分かっています」
医師と息子の会話は、まるで天気の話をしているような落ち着き方だった。私は、心が震えて涙が止まらないのに、二人だけ別の世界にいるように見えた。
抗がん剤治療はすぐに始まった。
病室のベッドの上で、息子の身体にはいくつもの管が繋がれていた。
点滴の滴る音、心電図の規則的なピッ、ピッという電子音。
私はただ、呆然とその光景を見つめていた。
声をかけたかどうか、正直覚えていない。
手術は十時間に及んだ。
待合室の椅子に座っていてもじっとしていられず、時計ばかり見ていたような気がする。
無事に手術が終わったと知らされたとき、膝が笑って立ち上がれなかった。その後の一年間、息子は一度も泣き言を言わなかった。
「痛い」とも、「もう嫌だ」とも。
ただ淡々と、治療を受け続けた。
それが、私には余計につらかった。
看護師と何度も言い争いになった。
「院内学級で勉強を」と言われるたびに、私は反発した。
「こんなつらい治療の中で、勉強? 冗談じゃない」
それでも息子は、車椅子に教科書を抱えて、二階の教室へ上がっていった。
後から聞いた話では、「治療のことだけ考えるのが嫌だった」と息子は言っていた。
いま、息子は大学三年生になる。
最高峰といわれる大学ではないけれど、私は胸を張って「自力でここまで来た」と言える。
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