【前回の記事を読む】雨を見ているのに、「雨」は見えていない?──“物自体”という哲学の入口。ヒントは赤ちゃんの認識プロセスにある
3 時間とは何か
時間に宿る二つの見え方
しかし、自分の時間と時計の時間の関係について考えてみよう。時計がない原始人から話を始めてみる。時計がないので客観的時間そのものをまだわかっていないと仮定する。この原始人は自分の時間しかなく、自分の中で遅いなとか、アッという間に過ぎたなというふうに感じているだけである。
この原始人が狩りに出かけた。そこで仲間ができて、2人で明日も狩りをしようと約束したとする。
その時は、会う場所と時間を決めなくてはいけない。とすると2人の原始人は例えば太陽があの山の峰にかかった時にここで会おうと約束する。これが時計の時間の始まりである。そこから日時計や水時計やゼンマイ時計ができ、時間の単位が決められ、秒、分、時、年がきまってくる。
つまり時間とは人との間の共通の目印として決めたものである。何のために決めるのか? それは人間の役に立つため、仲間との約束事を共有するためである。こうして人間が決めた時間は次第に、それ自体のものとして人間から自立していき、時間は客観的なものとなっていく。
それと同時に時間の空間化がなされていく。横棒の矢印をかき、中央に「現在」、左に「過去」、右に「未来」と示せば、線状の空間化された時間が完成する。ニュートンはこれを絶対時間という概念で示した。
では、138億年前のビッグバンはどうなのか? 138億年前のビッグバンは人間から見た一つの仮説である。バベルの塔と同じような構築物なのである。すなわち、科学とは人間が知覚(観測、実験結果)と頭脳(論理、数学)で確信し作り上げた、共同的な学問的文化的体系(システム)であるといえる。
つまり138億年前のビッグバン仮説は人が作り上げたものであり、人がいなくては生じなかった仮説である。宇宙人なら、宇宙人の見方感じ方があり、別の宇宙を考えたかもしれないのだ。
もう少し自分の時間と時計の時間の関係について考えてみよう。時計の時間は、人が自分の時間から共同的に作り上げたものだと述べた。それにより時計の時間は客観的なものとなり、空間的なものとなり、数学化されたものとなった。人間はこの二つの時間の間を行き来して生活するのであり、どちらかが本当の時間ということはない。
ただし、発生的には自分の時間がまず生まれ、次に時計の時間が生まれたということが言えると思う。