【前回の記事を読む】私たちが生きる、この「世界」とは何か? 絶対的な正しさを判断できない問題に答えるために、あえて「世界はない」と置いてみる

2 世界は生き物や人間が作り出す

現象という言葉

一方、世界では様々なことが起こる。それを「現象」という言い方をするかもしれない。

ここでは現象について考えてみたいのだが、以前、哲学者と物理学者の討論の中で、物理学者から「現象」という言葉の使い方が哲学者と物理学者の間で違うということで困惑させられているといった内容の発言があった。

例えば、物理学では物理現象とか自然現象といった使い方をする場合は、現象という言葉は人の意志に関わりなく生じるということを示している。

ここで「雨が降る」という現象について考えてみよう。

雨が降るのは人の意志と関係なく生じているということを確信している。

しかし、これは科学の発達によって近代になって生じた確信であり、近代以前では雨乞いなどのように人の行為で雨を降らせることができると信じられていた時代があった。

自然現象の背後に神仏の存在を確信していたからである。

一方、『精神現象学』という著書を書いたヘーゲルや「現象学」という学問を作ったフッサールなどの哲学者に言わせればこうなる。

「現象とはすべて心的現象である」と。

つまり、人がいてもいなくても雨が降ると信じているのは自分であり、自分の中の確信なのである。

もう少し具体的に説明しよう。

まず「雨が降る」ということを人が知るということはどういうことか?を考えてみる。

この問いに答えるために、生まれたての赤ん坊が「雨が降る」ということをどのようにして理解していくかを想像する。