第一に、実際に雨が降っているのを見たり、その音を聞いたり、あるいは雨粒が皮膚に当たって感じたりと知覚を通じて雨が降るのを知る。
ただ、知覚とは人間の脳の中の現象であって、雨を見るというのは雨を知覚しているのであって、雨そのもの(物自体)は人が決して知ることのできないものなのである。
そして、雨が降っている状況を母親が言葉で「雨が降ってるよ」と教えることで、雨が降っている状況を「雨が降っている」と言うのだと理解できるようになる。
つまり、子供は知覚と言葉によって雨が降っているということを少しずつ理解できるようになるのである。
次に、やがて子供は世界が自分の思う通りにならないということを理解させられる。
親には叱られる。兄弟は意地悪をする。友人が無視をするなど、世界は自分の意志とは関係なく動いているのだということを思い知らされる。
もちろん自分の思う通りになる場合もあるが、ほとんど自分の思いとは関係のない世界があり得ることを思い知る。
つまり、自分は世界の中の一人であって、世界はそれ自体としてあるものだということを確信するのである。
そういう状況で、「雨が降る」ということを考えてみると、人がいようがいなかろうが雨が降ると確信しているのは、自分の心の中の確信であるということになる。
この確信を周りの人同士で共有しあって世界を作り上げているのだとも言える。
つまり、自然現象も物理現象も自分の中の確信なのである。
こう哲学者は主張する。皆さんはどちらに同意されるであろうか?