【前回の記事を読む】足の速いアキレスが亀を追い越せない――当たり前なのに誰も説明できない、時間の逆説とは次に、客観時間の「今」に対して、自分の時間の「今」について考えてみよう。自分の時間の「今」には幅がある。「今ご飯を食べている」「今CDを聞いている」といった日常的な会話の中に、「今」が一つの意味(行動や現象)の塊としてとらえられていることがわかる。それは言葉の問題だろうと反論されるかもしれない…
ニーチェの記事一覧
タグ「ニーチェ」の中で、絞り込み検索が行なえます。
探したいキーワード / 著者名 / 書籍名などを入力して検索してください。
複数キーワードで調べる場合は、単語ごとにスペースで区切って検索してください。
探したいキーワード / 著者名 / 書籍名などを入力して検索してください。
複数キーワードで調べる場合は、単語ごとにスペースで区切って検索してください。
-
評論『生成の哲学』【第6回】野上 憲彦
昔の日本では、時間は今のように「のっぺり一定に流れる」のではなく、相対的だった。だが明治に西洋式が教え込まれ…
-
評論『生成の哲学』【第5回】野上 憲彦
足の速いアキレスが亀を追い越せない――当たり前なのに誰も説明できない、時間の逆説とは
-
評論『生成の哲学』【第4回】野上 憲彦
雨を見ているのに、「雨」は見えていない?──“物自体”という哲学の入口。ヒントは赤ちゃんの認識プロセスにある
-
評論『生成の哲学』【第3回】野上 憲彦
私たちが生きる、この「世界」とは何か? 絶対的な正しさを判断できない問題に答えるために、あえて「世界はない」と置いてみる
-
評論『生成の哲学』【第2回】野上 憲彦
「ベルエポック」と呼ばれる時代が第1次世界大戦によって崩壊…敗戦国となったドイツは失意の中、あの男が…。
-
評論『生成の哲学』【新連載】野上 憲彦
外の世界なんて存在しない?――カントが示した「人間の中に広がる宇宙」とは