【前回の記事を読む】外の世界なんて存在しない?――カントが示した「人間の中に広がる宇宙」とは

1 近代哲学の流れ

ドイツ・フランスが哲学の中心地

カントの次のビッグネームはヘーゲルである。19世紀の初めはフランス革命からナポレオンの時代である。新しい時代が来ているという希望の光を見る人が多くいた。ヘーゲルもまたその一人である。

カントは神―絶体真理の不可知性を主張したが、ヘーゲルはこれを何とか救い出そうとした。人間は絶対真理に今すぐには到達できないかもしれないが、試行錯誤しながら(弁証法)少しずつ絶対真理に向かって進んでいき、将来にはこの絶対真理に到達することができると考えた。

またヘーゲルは人々の利害を調節する役割を国家に期待した。そのため、現在ではヘーゲルの評判は非常に悪い。現代思想では国家は悪だという考えが主流であるからである。

しかしこの当時、国家(プロイセン―ドイツ)は国民国家の体裁をなしておらず、ようやく近代国家へ生まれ変わろうとした時代であった。まだ近代国家―国民国家への希望があったのだ。

この後、近代国家は帝国主義時代に至り、他国への侵略を繰り返し、特に左翼を中心に国家すなわち悪であるというイメージがつきまとうことになるが、ヘーゲルの時代にそれを要求するのは酷である。

私が師事する哲学者・竹田青嗣のヘーゲル評価では、むしろ人間の精神の運動―発達についての指摘が重要であり、そちらのほうが大切であると述べている。すなわち、争い合う人たちがお互いに認め合って、自由の相互承認を獲得し、本当の生き方が可能となる社会を目指すべきであるということである。