近代哲学史の最後にフッサールを紹介する。この人が現象学という学問を作ったと言われている。フッサールが生きた時代は、ベルエポックと言われるヨーロッパの古き良き時代の世界が第一次大戦(欧州大戦)によって崩壊し、西欧の没落が言われるようになった時代であった。

特にドイツは敗戦国となり自信喪失し、左と右の対立が激化し、その中からヒトラーが登場しようとする。

また、自然科学の発達が凄まじく、世の中のことはすべて科学で説明できるのでは? という信仰が生まれ、哲学はもう古いものだと投げ捨てられそうになった時代でもあった。フッサールはそうした科学中心の考えに反論した。科学の考え方を自然的態度だと批判した。

自然的態度とは、外に客観的なものがあり、それを私が認識するという極めて常識的な考えのことを指す。それに対し、自分の心の中での確信(現象)が世界像を作り出し、それをみんなで共有しているのだとフッサールは主張したのである。

すべては心の中の確信(現象)である。科学の方法では言葉の意味や価値のあり方はわからない。現象学の本質直感により人々に共通の価値観を見出すことができると科学中心の世の中に警鐘を鳴らした。

だが、こうした主張は無視され現在に至っていると竹田は言う。その後、世界は第二次大戦に突入し、戦後はマルクス主義がインテリの主流派となるのであった。今では考えられないが、共産主義が希望の光となった時代もあったのである。

しかし、スターリン批判の後、反マルクス主義(反ヘーゲル)としてのポストモダン思想が出現し、反真理主義、反ヨーロッパ、反国家、反近代を旗印としてヨーロッパを中心に思想界を席巻し、現在に至っている。

現在はグローバリゼーション、コンピューター、AIの発展のなかで思想そのものへの冷笑が見られ、反知性主義がはびこっている。そうしたことへ抗いたいというのが本書の目的の一つでもある。

 

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