伊吹にとってはもっと大事な言葉を見つけなければいけない。その言葉を伊吹は在宅マインドと呼んでいる。

この家の「在宅マインド」はどこにあるのか。本人と家族で少しずつ違い、関わる職種でも揺らぐ。伊吹にはそれが面白く、そして怖い。

伊吹はこの二つが定まっていない在宅医療には後悔が残ると考えている。今でこそACP(アドバンス・ケア・プランニング)という言葉でまとまりつつあるが、伊吹にとっては、在宅マインドと満足感と医療従事者の2.5人称的関与の3つの言葉が揃ってこその在宅医療なのである。

ACP(アドバンス・ケア・プランニング)は、ここでも何度も話し合ってきた。一昔前は、人の命は何よりも重いので、いかなる方法を用いても、1秒でも生命の継続を求める医療がなされてきた。

その後、本人が延命医療は望まないなどと直接話される場合には、その線で、医療での倫理規定に反しない範囲で、その思いを尊重される時代となった。

しかし現実には、そのような大変な事態の時には、自分の意思をはっきり伝えられる可能性は極めて低く、また認知症となるケースが増えており、代理意思決定者の存在がとても大事な時代を迎えた。

一昔前なら、その役割は妻や長男で、まれに親族代表と言われるおじさんであった。しかし今や同居のほうが珍しく、まして老老夫婦や認認夫婦(認知機能の衰えた夫婦)や、さらに一人で住んでいる家庭が増加して、突然現れた遠方の長男の言葉に困惑させられることも少なくない。

それこそご近所のお節介おばさまのお話を聞くほうがその人の生き方の延長に思える場合が多いし、逝き方がこれでいいのかと思うケースも少なからずある。

どこから見ても老衰の進行で、いよいよ2週間程度かということで、自宅で看取られたいと思われていた本人の意思を尊重していると、連絡を取った遠くの長男が来られ、俺は忙しい時にやっと来たのにこの状態はどういうことなんだと、緊急入院させて、あらゆる処置を希望され、延命を図ってほしいと言われるケースもある。

その勢いにそばに付き添っていた妻も口を閉ざしてしまうケースも少なくない。

そのような実態から、国を挙げてはっきり自分の意思を言える状況で考えようというのがACPである。日本では人生会議という超訳で普及している。

 

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在宅医療を選択した夫が「入院はしない。人工呼吸器も着けない。」と言っていた。「ただ、俺には妻しかいないから、喋れなかったら…」

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