プロローグ
診療所の朝は、いつものように静かだった。
窓の外には、冬の終わりを告げるような淡い光が差し込んでいた。空気は冷たく張り詰めているが、伊吹誠にとっては、それすらも「まだ生きている」証だった。
伊吹は、ゆっくり息をしながら、静かに車に乗り込んだ。吸い込んだ空気と、自らの呼吸とのわずかなズレが、体の中にある「異物感」として響く。その違和感こそが、日常の確かさでもあった。
「もう長くは診られないかもしれん」
伊吹誠は、日本脳神経外科学会の代議員、評議員などを歴任し、この地域にできた国際空港の守り神でもある基幹病院の脳神経センター長、診療局長、副病院長まで、いずれも最年少の45歳で上り詰めた。
テレビにも何度か出て、「プロフェッショナル」や「情熱大陸」などにも出演し、基幹病院としての地位を急速に高めることに貢献した医師である。
その後もこの基幹病院には、国際外来で世界に発信する部長などが現れ、マスコミとの関係を良い方向で利用しながら、日本でも有名な病院になるほどの発展に大きく貢献した人物であった。
本当は定年まで働き、病院長まで上り詰めることもできたが、医療危機の中で、リストラを行う必要が出てきた時に、まず隗より始めよという立場で、自ら退職し、わずか4ヶ月で開業する道を選んだ。
新しく開業するなら新しい在宅医療の夜明けと言われる時期に進めてみよう。そのように考え、ICTを利用して、多業種による寄せ集め医療、連絡が取れない閉鎖空間と言われた病院医療と比べての弱点を克服し、リアルタイムに連携事業体との本格連携を目指したものがやっと確立できた時であった。
これからの5年間が、今までつながった地域の患者さんたちと、それを支えてくれる様々な業種のスタッフで安定した地域医療への貢献ができる時期になるはずだった。
この5年の経過を経ながら次世代へ承継できたらと考えていた。クリニックを任せるであろう医師はすでに見つけており、ちょうど常勤になってくれて半年が経とうとしている。
そのような時期に突然起こった出来事だ。
そんな思いが胸をかすめる。だが、それを口に出すことはない。今日も変わらぬ一日として、外来を終えたあと、訪問診療に出かける。
同行するのは、診療所の看護師・香山房子、そしてもう一人——新しくパート勤務で在宅医となった、真鍋紗季だ。
伊吹も高齢となり、いずれ同じ理念を持った医師の人たちと一緒にやろうと思い、ちょうど、真鍋紗季を採用した時である。
「真鍋先生、今日お伺いするのは藤崎誠さん、72歳のパーキンソン病ターミナルの患者さんです。ご経験はありますか?」
後部座席の右側に座る真鍋は、顔を動かすことなく、正面を見据えたまま答えた。