【前回の記事を読む】直江の津名物・三連だんご。味見して、というので勘治はあっという間に平らげた。串まで舐めたところで「おめえ、だんご…」

第二章 今町と高田

この小地は海に向かう道と道を結ぶ路地で、家々の間をまるで迷路のようにつなげていた。事実、地元でない者が迷い込み、迷子になった話が後を絶たない。

なぜこのような小地が出来たかというと、積荷を積んだ舟船は直接港に着岸せず、沖あたりに停泊させ、そこから小舟(地元ではドブネという)に移し替え、この小地を通って港や市(いち)へ運んだからである。

無数の小地は地元の者でないと、どこにつながっているのかわからない。この町の密集した構造的な性質上、大火も頻繁に起こっていた。

海からの風が強いため火事の記録が全国的にも多かった町でもある。直江の津・今町で「三度、火事にあうのは日常茶飯事」ともいわれていたほどだ。

民家のつくりの特徴として“座敷蔵(ざしきくら)”が目に飛び込んでくる。珍しいのは家自体が蔵になっていることである。大火の影響からか、火事に強い耐火性の蔵づくりが普及したのだといえよう。

また、海に向かう道の一つに“二段坂(にだんざか)”がある。

大変に珍しい風景なのだが、坂が途中から二段に分かれているのである。そしてその坂の上の町を『上町(うわまち)』と呼び、下の坂の町を『下町(したまち)』と呼んでいる。

一見、目の錯覚のように思えてしまうほど不思議な町並みなのである。これは砂丘により形成されたものだとか、祠(ほこら)へ通じる階段があったためだとかいわれているが本当の由来は不明である。

さくらの肩につかまって歩く勘治は、

「なんてえ町だ、直江の津・今町はよお。地図があったって迷っちまうよ」弱音を吐きながらも、しっかりとさくらの袖をつかんでいた。勘治は最初のさくらの忠告を今さらながら実感していた。大の大人が、幼女の肩にしがみついている光景は滑稽そのものである。

一方、濡れ鴉の男は二人のはるか後方から落ち着いた様子で歩いている。男は建ち並ぶ家々を見ているようである。

琴平神社(ことひらじんじゃ)を過ぎると目的の沖見町に入った。表具屋「ふるさわ」と書かれた古い看板が提がっている。引き戸を引いて入ると、頑固そうな職人気質の親方が出てきた。

土間を入ると吹き抜けの天井があり、その合間を縫うように無数の黒い梁(はり)が張りめぐらされている。

天窓からは日の光が差し込んでいた。土間から裏の通りへは一直線に抜けられるつくりになっている。土間沿いに玄関から居間や台所すべてが見通せるのである。

これが今町特有の町屋のつくりである。勘治は掛け軸を渡し、珍しそうに天井を眺めながら店を出た。

通りを歩いていると海からの潮の香りが鼻を通り抜ける。寒いながらも爽やかな清涼感が体を満たした。

不意に目の前に獅子(しし)が現れた。西洋風な獅子の石像が臥(ふ)していた。和風の家並みとは不似合いな獅子像に、勘治は面食らった。

獅子像は海の方を向いており、地元でも獅子饅頭(ししまんじゅう)が作られるほどこの像は親しまれている。

いつからここに安置してあるのかは不明であるが、北前船で西の上方からきたものと今町ではいわれている。