(ノート)

人類の知能は低く、経験も知識も有限ですから、人類に既知でありわかっていることはほんの少しで「未知・未解でわからないこと」が無限にあります。人類にとって、未知・未解の領域を少しでも既知に変えて行く努力が重要であることは言う迄もありませんが、それと同じくあるいはそれよりもっと重要なことは、「未知・未解でわからないこと」は「今現在、わからないこと」として純粋に受け取ることです。受け取り、受け容れる以外に他の方法はありません。

宇宙、地球の自然、超自然現象、奇跡、神秘、人類、そして動植物等一切の現象は起こるべくして起こっています。起こるべくして起こっているのでなければ起こりようがないのです。この意味で、全ての現象は通常現象です。起こっている現象が科学法則やその他の知識で説明・理解できないからと言って不思議がることはありません。

現象そのものは起こるべき解を持っているのですから、安心していていいことです。「今現在、わからないこと」を畏れたり、崇めたり、逆に、侮ったりすることは無用です。又、それらに空想や妄想で無理矢理意味を持たせたり愚かな珍説を述べるような蒙昧にして傲岸不遜なことは慎まなければなりません。

特に、神秘については、その解明を求めて、その中そしてその先へ踏み込まないということは科学的精神を放棄したことになることを認めなければなりません。「今現在、わからないこと」については、ひたすら謙虚に、自然体で静かに、そして真摯な学究的姿勢で対しているべきです。

神の存在・非存在についても、未来永劫知ることができないという意味での「永遠に不可知なこと」ではなくて、希望的ではありますが、原理的に検証可能でいつかは知ることができるという意味での「当座の不可知」であるという扱いでいいものと思います。

 ただ、「我々人類が星のかけらの物質でできている炭素ベースの生命体であることから受ける制約として、もしかすると、人類の知性には限界があり、人類には永遠に既知となり得ない未知・未解があるのかもしれません。」(宇宙における生命S.W.ホーキング著佐藤勝彦:解説・監訳NTT出版1993年)

そうであったとしても、今日はわからないが明日はわかるかもしれないという姿勢を崩すことなく保ち続け、勇んで研究し考え続けることを喜びとしたいものです。人類には人類終焉の時迄未知・未解への解を追究するのが他に選択肢のない唯一の道です。人類が“考えること”を放棄しない限り、他の道を採ることはできません。