第1章 本書の重要事項
重要事項09 知識の形成
知識がどのように得られるのかについては古くから哲学者らの間に論争があります。すなわち、知識は先天的(生得的)に持っているという説と後天的(経験的)に得られるという説です。前者は大陸合理論と呼ばれ、デカルト、スピノザ、ライプニッツらが、後者はイギリス経験論と呼ばれ、ベーコン、ロック、バークリー、ヒュームらが推しています。
然るに、この論争は無益です。なぜなら、どちらも相手方に有無を言わせぬ決定的根拠を示すことができない論争ですから、そのような論争はどちらが正しいかについての結論に到達することはないからです。
しかし、この論争から得られる重要なことがあります。それは、知識を最大にするという視点からは、先天的な知識と後天的な知識を算術的に足し合わせば済む話であるということです。
この時、先天的知識について多くを詮索する必要はありません。それは何かということがはっきりしなくても、そのまま放置しておいて然るべきものです。
なぜなら、それはゼロでなければ、知識の総計の形成に何らかの形で貢献しているものと考えて良く(あるいは、貢献しないまでも弊害となることはなく)、又、人間が誕生した後でどうにかできるものではないからです。従って、増やすことができるのは後天的な知識に限られていることになります。
つまり、このことが経験や学習・教育が必要となる理由になります。「氏より育ち」とも言われますから、内容の良くわからない先天をしゃかりきに気にすることより、後天の知識を形成することに努めれば良いことになります。
それでは知識とはどのような形を取るものでしょうか。例えば、世界(宇宙)そのものやそこで起こっている現象について、ホーキングは、
「(知識としての)物理理論とは観測結果を記述する数学的なモデルにすぎないとし、ある理論が良い理論であるのは、すっきりしたモデルであり、広い範囲の観測を記述し、新しい観測結果を予言できる場合である。それを越えて、その理論が真実に対応しているのかを尋ねることに意味はない。なぜなら私たちは真実とは何かを知らないからである。」
と言っています。(宇宙における生命、前出)
又、「AはBの原因である」という知識があれば、そのような知識の束から帰納的・演繹的手法により知識を増大することができます。