お腹に聖がいたから最後は折れてくれたが、優子は結婚が決まったとき、夫の実家が忌避したものをぜったいに新しい生活には持ち込むまい、と自分に誓った。その禁を破らなくてはならない。

ふいに、死んだばかりの母親へ怒りが込み上げてきた。

電話が鳴り始めた。優子は考えをまとめられないまま受話器を取った。

「なんだ?」

のんびりした夫の声がした。

「あのね、今夜は残業とか、する?」

「うん、二時間の残業届を出してるけど。なんで?」

「それ、取り消して。早く帰ってきて」

「どうして? なにかあったのか?」

優子は大きく息を吸い込むと、ほとんど叫ぶように言い放った。

「おかあさんが自殺したの!」

しばらくの沈黙のあと、いつ、と押し殺した声がした。優子は涙声で、さっき、と声をすぼめた。

「いったい、どうして」

「……」

「どうして、また―」

「……」

「聖はどうしてる?」

「ごはん食べて、ベッドにいる」

「そうか」夫の安堵が受話器から伝わってきた。優子は唇を噛んだ。

「おかあさん、今日は珍しく仕事を休んだんだって。それでおとうさんが昼過ぎに、お米の配達のついでに家に寄ったら…そうしたら…」

「落ち着けよ。な。すぐ帰るから。そのまま聖のそばで待ってろ」

電話を終えると、優子は激しく嗚咽した。呼応するように聖もまた泣き出した。

どうして、という慎の言葉が、優子の中で幾層もの木霊になる。

どうして、などと訊くのか…古い家族は誰も、そんな言葉はけして口にはしまい。

でも、どうして…一年近く頑張ってきたというのに、どうして今頃になって…。

優子の頬が一気に火照った。聖も顔を真っ赤にして、小さな拳を肩の脇で震わせながら全身で泣いている。優子はベビーベッドへ駆け寄ると聖を抱き上げ、ごめんさない、ごめんなさい、と、赤ん坊にではなく、離れた場所で冷たくなっている母親に向かって、喘ぐように詫びつづけた。

次回更新は4月15日(水)、20時の予定です。

 

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緊張からか急に無口になってきた妹。無理もない。十三年ぶりの親子対面なのだから…

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