帰路、卓也と貴和子が乗車するBMWの後部座席にもう一人の人間が乗ることになった。

やはり今朝自分が感じた胸騒ぎにも似た予感は当たったのだ、と卓也は数時間前の自分を思い出す。そして後部座席で新しく家族の一員となった年若い人物の横にピタリと寄り添う貴和子の方は、もっと大きな感情に支配されていた。それは卓也の妻になった時とほぼ同じか、それを上回るほどの幸福感である。

彼女は今日の舞台の素晴らしさ、最初に見た時からあなたに特別な縁を感じたことなどを、ありったけの優しさと労わりを持った調子でひっきりなしに傍らの少年に伝え続けた。

それに対して当該人物は完璧なまでの反応を示した。笑顔と同意の頷き、時々困ったように首を傾げるしぐさの頻度まで。

まるで、先ほどの《猿カニ合戦》の続きを見ているようだと卓也はふと思ったが、きっとこの子は生まれながらにして人を魅了する天性の素質を持っているのだろう、たまたま舞台の上でそれが花開いているのを自分たちが目撃しただけなのだと思うことで、快晴の空にわずかに姿を見せた一片の黒い雲を追い払うことに成功した。

少年の普段の生活態度や勉学の様子などを香川所長に尋ねると、香川はこう答えた。

「それについてはケシ粒ほどのご不安もお持ちになる必要はございません。あの子が通う小学校で成績は常にトップ、そして所見欄にも何か注意すべきことが記載されたことは皆無。それどころか、優れたお子さんに育ててくれた我が施設に対するお褒めの言葉まで書いてくださるほどでしてね」

「いったい、そんな優れたお子さんがどうして児童養護施設などに……あ、いや、これは失礼。単なる疑問です」

慌てて打ち消す卓也に、香川所長は鷹揚な様子を見せ、

「構いません。この私でさえ、なんでこの子がウチなんかに、と思ってるんですから」

はははと豪胆に笑ってから、

「本庄さんにはおわかりにならないかもしれませんが、世の中には自分のせいではなくとも、恵まれない境遇を背負って生まれた子がたくさんいます。生まれた時にはそうでなくても、そのあとにとんでもない不幸に見舞われる子もいる。

だが、ここにいる子たちは皆、自分の運命を受け入れ、自分に与えられた世界の中で精一杯輝けるように頑張っているんです。私は彼らを指導し、安全な暮らしを提供し、人生の道案内をする立場でありながら、本当のところ、彼らに教えられることばかりなんですよ。特にあの猿役を演じた貢(みつぐ)くんにはね」

貢……というんだ、あの子の名前は。卓也がある種の感動をもって、その子供の名前を心の中で繰り返しつぶやいた時、妻の貴和子はすでに感極まっているようだった。

 

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