【前回記事を読む】丹波街道は有馬川を、溯上するかのように進む。六甲山の方へ向かうと、やがて大坂と有馬温泉を結ぶ有馬街道と交わる

川蛍

吉佐は昼飯を早々に済ますと、宝塚の小浜宿の家並みを抜けて大阪平野に出た。武庫川の流れに沿ってさらに南下すると、夏の長い日もようやく暮れ始めた。六甲山の山影に日が隠れようとする頃には、昆陽池(こやいけ)の鏡のような水面(みなも)に西日が輝いていた。

足を止めて水面を覆う蓮や睡蓮を眺めていると、葦(あし)の茂みを抜ける涼風が、汗ばんで火照った体を冷ましてくれた。丹波街道の終点になる神崎川(かんざきがわ)の河口にある河尻宿に吉佐がたどり着いた頃には、もう日も落ち、西空を茜(あかね)色に染めた残照も消えて、周囲は薄暗い闇に包まれた。

河尻宿は神崎の港を中心に広がった大きい街だった。港は摂播(せっぱん)五泊(ごはく)の一つで、京や大坂と西国、四国や九州とを結ぶ船の中継ぎ港として賑わっていた。船着場には瀬戸内を通う大きな千石船が何隻も停泊していた。またここで降ろした人や荷を、大坂や淀川を上って京の都に運ぶ沢山の中・小の舟が出入りしていた。

伏見の酒や米を運ぶ十石舟や三十石船が停泊する姿も見られた。神崎川には橋がなく、三国(みくに)の渡しで向こう岸に渡るが、渡し舟を降りればもう大坂の町だ。

既に日も暮れ暗くなり始めていた。舟の荷降ろしや積み込みも終わり、船倉辺りの喧騒は去っていた。川に面して立ち並ぶ船宿(ふなやど)や料亭の前にはその夜の宿を求める人影があり、めし屋やうどんやそば屋の店が並ぶ通りでは、舟人夫の塊が蠢いていた。

吉佐は、生暖かい生活の匂いが漂う通りは素通りした。生瀬宿からずうっと歩き続けたので、背負子が肩の肉に食い込み痛み始めていた。宿はもう近いが、吉佐は賑やかな通りから離れた、葦の茂った川堤で一息つくことにした。

背負子を降ろして、神崎川の土手の草むらに座り込んだ。夏も終わりに近づき、秋口に入ったせいか空気は澄んでいた。東の空が急に輝き始め、月が登り始めた。空には一片の雲もなく、東の空は冴えわたっていた。満月なのだろうか、玉兎(ぎょくと)がくっきりと姿を現していた。

向こう岸を見ると、堤に沿って船宿が建ち並び、その軒下に吊るされた提灯の明かりが、川面(かわも)に映っていた。宵口(よいくち)に入ったばかりの、ゆるやかに流れる川景色を眺めながら、吉佐は腰にゆわえつけていた風呂敷包を取り出した。両膝の上にそれを広げると、竹皮に包まれた握り飯を取り出した。