川蛍

時は江戸寛政(かんせい)十年の八月、丹波(たんば)の国の行商人吉佐(きちさ)は、摂津の国三田(さんだ)の宿を早朝に発った。武庫川の堤沿いに歩いていると、川堤に茂った夏草に降りた朝露に、足に巻いた木綿の脚絆(きゃはん)はしっとりと濡れた。東の空が白み始め、爽やかな朝の空気が胸の中まで浸みこみ、心は軽やかだった。

六甲山から北に向かって流れる有馬川(ありまがわ)が、武庫川と合流する道場(どうじょう)を過ぎると、武庫川は深い渓流になる。渓谷には灰色の岩がむき出しており、松やつつじが岩にしがみつくように張り付いていた。渓流を流れる川の水は、木々の影を映して濃い緑に染まっていた。

吉佐は岩づたいに渓流に下りた。岩場は梅雨末期に降り続いた大雨のせいか、いたるところに枯れ木や小枝が流れつき、岩にまとわりついていた。岩場の小石が堆積した小さなせせらぎの水は澄み、鮎や山女魚(やまめ)の泳ぐ姿が透けて見えた。

吉佐は渓流の水を両手ですくい、口に含ませた。喉元を刺すように冷たかった。もう一口飲むと吉佐は大息をついた。川水が冷やす空気の感触がなんとも言えないほど心地よかった。吉佐は腰にゆわえつけていた竹筒を取り出して谷川の水を入れた。

ここで竹筒に水を入れておけば今夜の宿までは飲み水には困らないはずだった。竹筒を再び腰にゆわえつけると空を見上げた。早朝の夏の光を浴びた山々の緑は輝き、山の端は青い空と際立っていた。

武庫川は道場から四里ほどにわたって、猿しか通れぬ険しい渓谷となる。丹波街道はこの武田尾渓谷を避けて、北に向かって流れる有馬川に沿う道を、溯上(そじょう)するかのように進む。六甲山に向かう道を進むと、その道は、やがて大坂と有馬温泉を結ぶ有馬街道と交わるのである。

有馬街道を大坂に向かうと、六甲山の麓を通り抜ける上りの山道になるが、道の頭上は木立の茂みに覆われていた。おかげで、暑い盛りにもかかわらず、真夏の強い日射を遮ってくれ、思いのほか涼しく感じられた。