それでも背負子(しょいこ)には十貫目(じっかんめ)にもなるお茶と黒豆を背負っており、山道を歩くのはやはり苦しかった。上り坂が続くと体は汗ばみ、背負子に積んだ荷物の重みが肩に食い込んできた。篠山(ささやま)の家を発つときに新調した草鞋(わらじ)も段々と破れてきて、草鞋の裂け目から小石が足の裏に食い込んでくるようになった。
時たま尖った石が草鞋に刺さると、思わず「痛えー」と声が出た。腰にはまだ三足の草履があった。昨日の午後に篠山の家を発つときに、おかんが持たせてくれた。大坂までの往復の行商のために、夜なべして稲藁(いなわら)を編んでくれたものだった。
藁の鼻緒には古布を巻き付けてくれている。これは足の皮が藁の鼻緒で擦りむけないようにとの、嫁の駒の思いやりだと思った。
荷の重さに耐えながら街道を進んで行くと、突然異様な風景が目についた。鋸(のこぎり)のように尖った白い岩が、何本も剥きだしになっていた。その荒々しい岩肌にへばりついたような木立。六甲山の北側を通る有馬街道の難所、蓬莱峡(ほうらいきょう)だった。
花崗岩質の岩は風化してもろく、雨水で崩れ易いのだ。岩肌を切り開いたこの辺りの山道は、地肌が剥き出して、落石や地滑りがよくある所だった。
村人によるとこの有馬街道は、古来より地元民や旅商人(たびあきんど)だけでなく、有馬温泉で湯治(とうじ)するために天皇や貴族、武士も通ったという。豊臣秀吉も有馬温泉が大層気に入り、何度も湯治に訪れては、大茶会を催したという。
蓬莱峡沿いの狭い道を抜けると、街道は再び武庫川の流れに出会い、川沿いに立つ生瀬宿(なまぜしゅく)に着く。そこで、道場から始まった武田尾渓谷は終わるのだ。生瀬宿に着くと吉佐は茶店で一息をつき、遅い昼飯を取ることができた。山道で傷んだ草鞋は、ここで新しいものに履き替えた。
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