第四項 間脳による幻想
間脳は本能の中枢であり、情動を制御してさまざまな間脳による幻想を描き出す。
わたしたち人間が認識する世界は、すべて間脳による幻想でしかない。
間脳が制御不能になる暴走には注意が必要だが、その反面豊かな情操が涵養(かんよう)され、さまざまな芸術を生み出す源泉ともなり得るのだ。
間脳は前述したように、大脳辺縁系とともに本能の中枢である。そのため、自己保存のための感情や行動に関連しており、摂食、戦闘、それに怒りや怖れといった反応がここでコントロールされているのだ。
また、社交性や種の保存に関係する表情や感情が調整される。
さらに、視床下部のはたらきによる副交感神経系や交感神経のはたらきとも連動しているほか、ホルモンの分泌を調整する。
喜怒哀楽などの情動に伴うからだの反応を制御している。そのため、物事を認識する際に、ありのままには受け取れないのだ。
その時その時の心身の状況、特に感情の影響を受けやすく、歪んだ物語を間脳による幻想として創り出す恐れがある。
大脳皮質はその間脳による幻想を見て現実だと錯覚するとすれば、まさに夢見る間脳である。
間脳が制御不能となって暴走したら恐ろしいことになりかねない。酒害や世の犯罪の多くは、この間脳暴走によるものではないだろうか。
だからこそ、その制御が重要となるのだ。
その一方で、間脳による幻想が豊かな感性として作用すれば、優れた情操が涵養され、さまざまな芸術を生み出す源泉ともなり得るようだ。
自己は煩悩の伏魔殿(ふくまでん)から生ずる三毒五悪に塗(まみ)れるも、凡庸さの恒常性が虚相として保たれていることで、悪魔に陥らずにいられる。
自己は凡庸な虚相ではあるが、その人らしさをあらわす。
間脳と辺縁系こそが、言説的な人間のおろかさをコントロールしている中枢なのだ。その機能の損失は自己の表出にとって多大な影響を及ぼす。
まさに、三毒五悪の悪魔を生み出す煩悩の伏魔殿と言える。
三毒とは貪(とん)(貪欲(どんよく))・瞋(じん)(瞋恚(しんい))・痴(ち)(愚痴)、そして五悪とは殺生・偸(ちゅう)盗(とう)・邪(じゃ)婬(いん)・妄語・飲酒を言う。
人間の本能的行動と情動との神経生理学的基礎となっている。辺縁系は、嗅覚の他に自律神経反応と摂食行動に関係している。
また、間脳の視床下部とともに、生体の概日リズム、性行動、怒りと怖れとの情動、動機づけの統御、などにも関連することが少なくない。
性行動は神経系の多数の部位が関係する基本的で複雑な生理的現象なのだ。
その大部分は辺縁系と視床下部で調節されている。動物では生得的であるが、人間では大脳皮質との関係があり、社会的、心理的因子で条件づけられたもの。
情動反応については、憤怒を促進する機序とその反対の平穏(placidity)を促進する機序があり、ちょうど体温調節と同様に憤怒と平穏を調節するしくみがあると考えられている。これを情動の恒常性と言う。
このように、自己とは脳によって生み出される色もなく形もなき凡庸な虚相ではあるが、その人らしさをあらわすものでもあるのだ。
(1) 『和英対照仏教聖典』 仏教伝道協会 一九六六
(2) 鈴木大拙 『日本の最終講義』 KADOKAWA 二〇二〇
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