水田での柿栽培を再考する
富有柿は、岐阜県瑞穂市居倉が発祥の地とされている。完全甘柿の一種で、奈良の御所柿を起源として福島才治が他の木に接ぎ育成したものということは広く知られている。
瑞穂市北部から本巣市にかけては、根尾川沿いや糸貫川廃川跡のような保水性が悪くて水田にならない土地が多くある。
それに、この地域は、山に近い扇状地であり内陸性の気候である。したがって、昔から柿・桃・梨等の果物が栽培されてきた。
四十五年程前、耕地整理が完了した。そして、その頃には、米余りの時代を迎えており、水田でも柿が栽培されるようになった。
今では柿畑と水田は、うまく共存しており何の違和感もないように見える。我家では、少し早く約六十年前から有るので見慣れてしまっている。
しかし、そもそも、水田で柿を栽培することは理にかなっているのであろうか。昔、父から「柿は鈍感な木だ」と聞いたことがある。
ひょっとして環境は合わないが我慢しているだけではないだろうか。水田は、粘土質の土壌で、保肥力も保水力も高い。そんな土壌に、果して柿は合うのであろうか。
当時はそんなことを思っていなかったというより、何も考えていなかった。しかし、今は大変気になっている。
山野草や庭木が、水田の土壌に合わないことは十分に経験することがあった。十四年前から屋敷内の空地で、趣味の山野草の庭を作っている。
空地の真ん中に、昔から一本の銀モクセイがあって、その周りに水田の土を入れ、だんだん広げていった。
数年経った頃に、ちょっとした台風の風でその銀モクセイが倒れてしまった。むき出しになった半円形の根を見ると、ほとんど根がついていなかったのだ。
窒素が過剰に有り、根が腐ってしまったのだろうか。周りの山野草のことも考えて、全面的に土を入れ替えたところ、今では元気を取りもどしている。
そして、この貴重な経験は一回では済まなかった。約二十種類の実の成る木を入れている土地のすぐ南隣は水田で、水田から約一メートルくらいの所に入れてあったビワの木が、四年程前に、やはり台風によって倒れてしまったのだ。
地上にむき出しになった半円部分には、やはりほとんど根はなかった。倒れたのに、木は元気だったところから察すると、残った半分の根は正常のようだ。助かった根は、水田より遠く、影響を受けなかったからであろう。
これらの二つの経験は、単に山野草や庭木のみならず、根はもちろん、植物と肥料の関係を考える上で、いつも心の真ん中にある出来事である。これまでの記述の中で「肥料が多いと思われる」という表現が多くあったと思うが、この経験が基となっている。
【イチオシ記事】初めての夜は独特だった。「男なのに、それで満足できるの?」と聞くと、彼は不思議そうに「男だけ気持ちよくなるのは違う…」
【注目記事】夜、二人きりになった途端に抱きついてきた夫。「一日中、部下に取られていたから…早くおいで」と言って私の手を引っ張り…