祖父の鮠(はや)漁

遠山の雪消え初めた水の色

父の本棚の中から「飯豊町川柳の歩み」の一冊を開き、その中に掲載された、祖父豊松の一句である。

この句の遠山とは山形県・福島県・新潟県の県境に、山岳宗教の本山飯豊山を主峰とする、名山飯豊連峰のことである。

祖父と共に暮らしたふるさとは、最上川の支流の一つである、飯豊山を源とする白川沿いの渓谷に、僅かに開けた九戸の集落である。

ここは雪国の山形県でも有数の豪雪地帯で、例年三mの積雪となり、四月下旬から五月上旬の二十日そこそこで一気に融雪し、その時の白川は雪解け水が茶色に濁り洪水となって流れ下るのである。

このころ、ブナの黄緑の新緑と、淡い赤い色の山桜が山々をいろどり、やがて総ての木々が一斉に芽吹きイタヤカエデの橙色、キワダの黄色、楢の白等々「山笑う」と言われる一瞬の時が過ぎるのである。

そして、眼前の白川は飯豊連峰の雪解け水が滔々(とうとう)と流れ、紺碧の水の色を、祖父豊松は遠山の雪解けの水の色と、浮き立つ気持ちを表したものである。

六月になると柳や、沢ぐるみの枝に蔓をからませた、紫の藤の花房が川面に映え、これを追いかけるように、ピンクの谷ウツギが川原の土手一杯に咲き乱れると、鮠のオスは横腹に橙色の横線を見せ、頭には小さな白い斑点が浮き立ち、時には百匹を超す群れとなって産卵を行うのである。

待ちに待った豊松の鮠漁の始まりで、鮠の産卵場所の流れを、人工的に造る技が要求され、それは豊松の先天的な能力で、他の追従を許さぬものであった。

私たちの集落の上流に、片貝淵と言われる深い淵があり、二枚貝の化石が淵の岩場から出土することから名づけられたもので、淵の深さと広さから、小学生だけの水浴びは禁止されていた。

この淵からの駆け上がりの流れが、瀬となって、次の小さな淵へと流れ込むのであるが、瀬の一部に掘割を造り、本流が淵へと落ち込むあたりに、直角に流し込み小砂利を敷き詰めて淵へ棚を造るのである。

この棚からコロコロと砂利が流れ落ちる場所に、沢山の鮠が産卵に集まり、そこへ投網を投げ広げ、鮠を一網打尽にするのである。

祖父は、この鮠の産卵場所に早朝、昼、夕方、深夜と一週間ほど、日に四回投網を打つのである。そして同じような産卵場所を、順次下流に三か所造るので、鮠漁は一カ月近く続くのだ。

当然、自家消費を仕切れる鮠の量ではなく、集落全戸に、山村の貴重な蛋白源をおすそ分けする手伝いが,小学三年生までの私の役目であった。