同年六月二十六日、義満は父義詮と祖父尊氏も成れなかった内大臣の地位に昇進し、平安時代の仕来(しきた)りを踏襲して内大臣饗応(きょうおう)という盛大な宴を張った。

企画したのは義満の公家的教養の師、二条良基である。招かれた公家達は誰もが、貴族文化華やかなりし平安時代を想像しながら、大いに満足し、誇らしげであった。

──道誉の言った通り、贅沢を好まぬ者はいない。奢ってやればどんな名門の公家でも大喜びじゃ──

義満は、プライドの高い公家達の足元を見た様な気がした。

半年後、義満は更に左大臣に昇進する事が出来た。二つの大きな宴会を成功させると、今度は世阿弥の元服式を室町第で執り行う事にした。

一刻も早く元服したいと言っていた筈の世阿弥は、いざとなると気持ちが落ち込んだ。

いつ迄も藤若という名の稚児でいられる訳は無いと知りながら、心の底ではなるべく長く稚児でいたかったのだ。恰も女性がいつ迄も若くありたいと思う様に。

──稚児で無くなれば、上様とのお目通りも難しくなるだろう。元服式が上様と直接お会い出来る最後の機会となるかもしれない──

義満も又、心を痛めていた。

──世阿弥がいなくなれば夜通しの話も、心の底からの笑いも、本当の涙も無くなるだろう。

本音を語れる唯一の友無くして、生きて行けるのだろうか。

加賀局の事は女人として愛している。

しかしあいつはわしの前で本当の涙を流した事が無い──

義満が世阿弥の烏帽子親となったので元服式の格は上がり、贅沢なものとなった。世阿弥の髪は切られ、元清と名付けられた。もう、藤若でも垂髪でも無い。

義満から膨大な贈答品があったが、その中には文具四宝と呼ばれる、最高級の紙と筆、墨、中国端渓(たんけい)の硯の一式もあった。

又、十二世紀の音楽理論書、『管絃音義』も含まれていた。これは加賀局の薦めによる物だった。

しかし、一番世阿弥の目を引いたのは、紅の裏地が付いた純白の直衣(のうし)であった。

これは義満が宮中初参内の折に誂(あつら)えた最高級の絹の直衣であり一度しか袖を通していなかった。焚き染めた、これ又最高級の香の匂いが未だ付いていた。

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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