少し緊張しながらも訊ねた僕に、老婆はあまりにも拍子抜けする回答を寄越した。
「この歳になると、だいたいわかるのよ」
そういうものなのか。そういうものなのか? 結局僕は、目の前に座る老婆にとって何者なのか名乗ることもなく、老婆の方もこの家の関係者なのだろうなと勝手に予想するくらいしかできず、ただ老婆の話に耳を傾けた。
老婆は当たり障りのない、僕以外の誰にでもできるような話をした。天気の話やこの町の話だった。老婆から家族の話が出ないか、遥香の話が出ないかと期待したが、そんなことはなく、気づくと一時間近く経過していた。
ふと老婆は時計をちらりと見た。
「そろそろ帰った方がいいな」
「え?」
「あなたのためよ」
僕がこれ以上この家にいたらまずいというのだろうか。
たしかに、このまま老婆以外の家族が帰ってこないともいえない。老婆はその人物に僕を会わせないようにしようとしてくれている? ゆったりと庭先を見つめながらお茶を呑む老婆を見て、考えすぎかと自身の考えを振り払う。きっとこれ以上家にいられたくないのだろう。僕の方も、遥香の両親と鉢合わせなど、死んでもしたくない。
帰り支度を整えた僕を、老婆は玄関まで見送る。家に入ったときは気づかなかったが、玄関に幼少期の遥香の写真が飾られている。久々に見た遥香の顔だ。ちゃんと面影がある。
同時に、一緒に映っている母親の笑顔も輝いている。老けない体質のようで、写真の中の彼女と三年前に会ったときの彼女の顔に大差はないように見える。ふと自分の母親の顔を思い浮かべてしまう。あの人は変わっただろうか。
「そろそろ帰ってきちゃうから」
老婆が僕の視線の先を見ながら言う。
「そうですか。では、お邪魔しました」
「またいらっしゃい」
結局、遥香のことは、なにもわからなかった。ただあの老婆が遥香の祖母なのだろうと思う。テーブルに椅子が四つ。遥香と両親と祖母、きっとあの家にまだ遥香はいるのだ。そう思うと、なんだか急に遥香が身近な存在に思えてくる。遥香にまた出会えるのではないかと、期待を膨らませながら、緑川家を後にした。
「代金は前払いね」
僕がお金を支払うと、フロントのおじさんは「ごゆっくり」と言って、バックスペースに引っ込んでいった。ルームキーを手に三階の部屋へと向かう。
子供の頃からずっとある古い不気味なホテルは、この歳になってから見てみると、そんなに気になるほどでもない。たしかに、少し湿った匂いがしたり、階段を上る際にギシギシ音が鳴ったりはするものの、こういうホテルは新宿でもよく見かける。お化けが出るだとか言っていた小学生時代の自分を、少しばかばかしく思う。
次回更新は3月24日(火)、11時の予定です。
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